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千字薬 第1話.東京

1963年

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主任教授から大手自動車会社に、「きみを推薦したい」との話があった。教授のアートセンター(ロスアンゼルスの美術大学)時代の友人が、その会社のデザイン部長をしていて、「良い学生がいたら」と頼まれたそうだ。
先年入社している先輩を訪ねてみることにする。行ってみて、田圃の真ん中にある巨大な工場や事務棟、それに先輩の住む数階建ての寮などを見て、ここで一生暮らすのはとても無理だろうなと思った。

私はデザインを志し、東京に憧れて田舎を飛び出した手前、手紙には必ず「東京都何々区」と書けるところに下宿を選んだ。そして東京を思いっきり満喫、その魅力の虜になっていた。
3年生になって、名神に続く東名高速道路、東京オリンピックに向けての首都高速道路などの大規模な工事を目の当たりにして、これからは自動車の時代だと直感。それからは夢中になって自動車の絵を描くようになり、「1日100台」、仲間と競い合って昼も夜もなく描いた。
そしていつしか、渋谷の外れにあるワシントンハイツ(現在の代々木公園にあった米軍将校宿舎)辺りが、私の遊び場になっていた。と言うのも、そこへ行くと、アメリカの将校たちが乗り廻す、いろんな外国の高級車に出会えたからである。
排気管から出るガソリンの仄かな匂いに、何ともいえない文明の香りを感じ、贔屓の車が通ると、後ろからその匂いを追いかけて行った。何とか、東京を離れないですむ方法はと考えていた矢先、私の前に「ホンダS600」が現れる。

世界を制覇したオートバイメーカーが、自動車をつくるという。社長の本田宗一郎さんは、私にとってたいへん魅力的な人に感じられた。「よし!」と思い立ったものの、何故か、わが校にはホンダからの募集案内が来ない。
しかたなく、八重洲にある本社ビルの人事課を訪ねたが、「わが社は、大学卒しか採用していません」と素気のない。「うちも大学です」と頑張ると、「専門学校は駄目なんです」と言われてしまった。押し問答して印象を悪くしてもと思案のうちに、はたと思いつき、近くの本屋に飛び込んだ。
「一寸のあいだ、大学便覧を貸して下さい」と頼んでみたが、あえなく断られた。買おうとしたが結構高い。そこで主人に事情を話し、腕時計を預けて分厚い大学便覧を借り受けた。
お陰で人事課には、やっとこさ大学と認知され、願書を受け取ってもらう。結局、20人くらいの受験者のうちたった一人の採用となった。

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