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第216話. アイデンティティ

1997年
 
このところよく、「こんな時、本田さんならどうするのだろうか」と考える。ホンダはバブル経済崩壊の後遺症から素早く立ち直り、収益も人が羨むほどになり先の見通しも立った。バブル崩壊後の立て直しに追われ、やむなく先送りされてきた「次世紀、ホンダのアイデンティティは如何にあるべきか」について、考えるゆとりもできた。
本田さんが、浜松に町工場同然の小さな会社を興されてから間もなく50年。何度かの危機を乗り越え今が在る。が、その本田さんはすでにいない。この先、その名前もイメージも少しずつ風化していくだろう。21世紀のホンダは何を拠り所にすべきだろうか。
どのような気持ちで、本田さんは会社を興し育ててこられたのか、それさえもやがて解らなくなってしまう。さらに言うなら、そもそも「ホンダ」とは果たして何なのか、それも分かり難いものになってきてはいまいか。
「エンジン製品メーカーである」、は答えではない。それには違いはないが、では他の日本の、西欧の、アジアの後発の、数多あるメーカーと一体どこがどう違うのか。
振り返ってみると、ホンダは欧州において、一派一絡げに「ジャパニーズ・カー」と呼ばれるのではなく、ホンダは「ホンダ」であるとして、「顔の見える会社」だと一目おかれる時期があった。80年代中盤、4輪レースのF1が世界各地で連勝し、商品では、「2代目プレリュード」、「3代目シビック・3ドア」や「初代CRX」などがヨーロッパの人たちの心をとらえ、ホンダここにありと気を吐いていた頃である。
「2代目プレリュード」は、日・欧の市場で「ホンダらしくない」と不評を買った初代の反省から、ミッドシップスポーツカー並みの超低ボンネットをもつ「低全高スタイル」とレスポンスの良い「爽快な走り」を実現し、「3代目シビック・3ドア」は、革新的なパッケージをもつ「ロングルーフスタイル」と「小気味よい走り」を備えていた。
これらの商品に共通していたのは、個性的な欧州車群の中にあって、そのスタイルと性能に極めて独自性を持っていたこと。それ故に企業イメージも、日本車群からは遥かに抜きん出て、ベンツ、BMWには及ばないまでも、頑張れば手の届きそうなところにあった。それが10年の間に、欧州勢に追いやられたのである。自動車を発明した国の面子にかけて、反撃に出たということだ。今更ながらではあるが、これは大仕事になるぞと、鳥肌が立った。

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