第140話.二刀流
1988年
年に一度の商品戦略会議の席で、4代目「ホンダアコード」のエンジンをどうするかで議論が伯仲。
開発部隊が押す「縦置き5気筒エンジンに全面的に切り替え」案に対し、「横置き4気筒エンジンは、アメリカはもとより世界中で定評がありコストパフォーマンスも高い。しかもさらに進化の可能性もあり、したがって残すべき」との、北米営業部隊からの強い要望。それに「一気に新しいものに切り替えるのはリスク大」と懸念する生産部隊の強い意見も。
議論を重ねた結果、横置き4気筒の継続進化と縦置き5気筒の新規革新の両方を採用することに決まった。まさに、宮本武蔵の「二刀流」である。さらに、横置きエンジンのシリンダーブロックなど鋳鉄部分を、全てアルミ化するという大幅な変更も決定される。
アコードはホンダにとって基幹車種、日本でもアメリカでも生産されている。この大幅変更は、日米で同時にという離れ業の大仕事となり、その結果、シリーズ全体の投資額は1000億円を超える膨大なものになった。
この頃国内では、ホンダの年齢別販売分布は30前の若い世代に著しく傾斜。つまり、若い頃はホンダ車に乗っていても、ある年齢を越えると他社の車に乗り換えられてしまう。そういうお客さんを引き留めることが出来れば、シェアの拡大が十分望めるという期待があった。
こうした背景から、日本向けには「横置きFFのアコードとアスコット」「縦置きFFのインスパイアとビガー」の二組の双子が誕生し、でき上がったばかりの三つのチャンネルで、それぞれ違ったセダンを売ることになった。クリオ店にアコードセダンとインスパイア、プリモ店にはアスコット、ベルノ店にはビガーという具合である。
アメリカは、好調な販売をさらに強化し、オハイオの生産拠点を常にフル稼働させることを主眼に、「横置きFFのセダンとクーペ」という組み合わせで4代目アコードシリーズは構築された。少し遅れて新たにワゴンを加え、さらに盤石なものとする。
こうした大展開は、日本では、インスパイア/ビガーの活躍により、マークⅡの寡占状態にあった小型上級クラスに食い入ること繋がった。またアメリカでは、単一機種ナンバーワンの販売を達成し、この4代目でアコードの名は不動のものになる。
しかしその反面、このような車種の増加は専用の部品や組立工数の増大に繋がり、4代目アコードは、生産上の困難や大幅なコスト上昇の要因を抱えたままの船出となった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?