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第192話.オレンジ・カウンティ

1994年

開発中の3代目「ホンダレジェンド」は、2代目の不評を何とか打破しようと、世界に誇れる「スポーティ・サルーン」を標榜し、アルミの軽量サスペンションや、VTECエンジン、デュアル・エグゾースト方式という先行技術の開発に力を注いでいた。
振り返るとホンダは、80年代の初め、海外での生産もようやく軌道に乗り、さらなる飛躍を目指した。それには高級車の領域で認知されることが先決と、初代レジェンドをフラッグ・シップとし、米国に、「アキュラ」という新しい販売チャンネルを設立。
初代は、その期待に応え、「ニヤ・ラグジャリー」という独自のセグメントをつくり出し、かつドル箱となった。そして2代目では、FF縦置きV6エンジン・レイアウトという新たな技術を投入し、性能向上を計った。
が、市場からは、図体が大きい割に貫禄がない、それでいてスポーティでもない、などと厳しい評価を受けていた。そんな訳で、3代目の開発には相当力が入っていた。ところが開発も緒についた頃、突然、円が高騰し始め、企画段階で125円/1ドルだったものが、ここにきて80円を切りそうな状況になったのである。
アメホン(アメリカンホンダ)からは、「1ドルが80円を切るようなら、レジェンドはいらない」と言ってきた。いくら性能が上がっても、5割も値段が上がっては商売にならないと言うのである。
尤もなことではあったが、一番の買い手のアメリカに見捨てられたと言うので、たちまち四輪事業本部は大騒ぎ。関係役員の中には、開発を中止したらどうかと言う人さえ出てきた。
開発チームはこうした四面楚歌の中で、活路を見出すべく検討を重ねた。議論に疲れ雑談になって、「アメリカも広いけど、どこで一番似合う車になればいいのだろうか」という声が出た。アメリカ在住の長い検討メンバーの一人が、ぼそりと、「オレンジ・カウンティ」かな、と。
始めて聞く名前だった。その「カウンティ」とは、ほぼ日本の「郡」に相当し、日本で一般に言われている「ロサンゼルス」は、正式には「ロサンゼルス・カウンティ(郡)」という。
オレンジ・カウンティは、ロサンゼルス・カウンティの南に位置し、自然に恵まれた風光明媚な土地(とは言っても、人工的につくられた緑土だが)で、近年は、知的富裕層のための高級住宅地として発展してきた。
行き詰った議論に光明が。藁をもつかむ気持ちで「よし、そこへ行ってみよう」、と。

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