第66話.パロスベルデス
1974年
アメリカへの出張から帰った研究所専務が、「この車、ロスのパロスベルデスで似合うようなのにしてよ」と、クレー(粘土)モデルを前にして。初代「ホンダアコード」3ドアのデザイン作業が始まったばかりの頃である。咄嗟に、「これはしめた、アメリカに出張できるぞ」と。
私はまだアメリカには行ったことがない。「どんなところですか」と尋ねたら、「ロスにいるMさんに頼んで、写真を送ってもらったら」と。「えっ」と思ったが、「はいっ」と答えるしかない。
「くそっ、ケチめ」と内心思いながら、しかたなく写真を送ってもらう段取りをした。国際電話をかけるには、所長の許可が必要である。特別の電話室があって、そこに入るのは一寸した優越感があった。
10日ほどで写真が届く。が、6×4(ロクヨン)の小さな写真が一枚、丘の上から海を見おろすアングルで、中央に紅い屋根と白い壁のスペイン風の家が配置されたものである。
「首を長くして待っていたのに、これだけ?」「これじゃイメージが湧かないよ」と憮然とする。とは言っても、再度お願いする時間はないし、何か良い手はないだろうかといろいろ考えた。そんな中、写真を1/1クレイモデルの背景になるぐらいの大きさに引き伸ばしてみたらどうか、と突然に閃く。
早速手配ということになったが、そんな大きな写真を引き受けてくれるところはかいもく見当がつかない。しかし「念ずれば通ずる」で、出入りの写真屋が航空写真を扱っている業者を紹介してくれた。「それにしても、こんな大きな写真を」と業者も驚く。
2×5mの写真をベニヤ板でつくったついたてに張り付け、クレイモデルの後方にセットした時は、さすがに感動ものだった。締めて80万円也、私がロスに行って帰ってくるよりはるかに高い金額である。
話を聞いて開発チームの連中が集まって来た。「へえー」と言うのがみんなの第一印象。その日から、バックの風景に似合ったモデルとなるようデザイナーたちは頑張り、他のチームメンバーも足繁くモデルの前に集まるようになった。
時間とともに一枚の風景写真が思った以上の効果を発揮し、チームの連帯感が日に日に強まる。エンジン、車体、シャーシー、艤装、それぞれの設計者が風景写真の前のモデルを見ては、イメージを膨らませ製図板に向かった。
また、走行テストの担当者は「テストコースでも、あの景色の中を走っているようだった」と話す。明るい雰囲気で開発は進んだ。
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