第41話.5平米
1970年
初代「ホンダシビック」は、デザインの方向も絞られチームの結束もますます深くなってきていた。そんな頃、軽自動車と小型自動車の間に「5平米」という新しい規格が出来るのではとの噂が浮上。
車の占有面積5平方メートル以内とするもので、自動車による公害が問題になりつつある中、渋滞や駐車などの問題を解決するために考え出された法案である。
この法案は最終的には実施されなかった。が、「世界車オースチンミニが、あんな小さいサイズで出来ているんだから」として、できるだけサイズを小さくしようとしていた我々のコンセプトにも符合した。
当時の軽自動車の規格は、1300×3000ミリの4平米。シビックはそれに、幅で150ミリ、長さで2~300ミリ足した1450×3200~3300ミリ、このサイズの中におさまれば、楽々5平米に入るとしてスタートした。
ところが全長が決まった後も、毎日のようにエンジンとミッションの長さが伸び、車幅の寸法にもかなりの影響を及ぼし始める。車幅が1450ミリを超えてしまった時は「ぎょっ」とした。歯止めが利かなくなると大変。
それでも「何とか1500ミリ以下に」と申し合わせて頑張ったが、最後の土壇場で「ひょいっ」と1500ミリをはみ出してしまい、さすがにみんな青くなった。5ミリの寸法が何ともならなかったのだ。
結果、必然的にトレッドも広がりタイヤの幅も少しずつ太くなった。勿論その影響を受けて車幅も広がってくる。この犠牲になったのが全長で、何しろ「5平米」の中に収めるのが目標だから、幅が5ミリ増えると全長を10ミリ縮めなければならない。
ハイデラックス(基本タイプ)のバンパーがペチャンコになったのはそのせいだ。そんな頃たまたま本田さんが見えて、「トレッドをあんまり広げると、ドブヘ落っこちるぞ」と笑って行かれた。実際に落ちた人がいたから面白い。
1450ミリから出発した車幅は、最終的には1505ミリに。全長や居住空間の基本寸法が決められ、続いてこのようにして、車幅やトレッドが広く、ホイールベースが長く、オーバーハング(前輪よりも前に、または後輪よりも後ろに伸びた車体部分)が極端に短い、四隅タイヤのディメンションができ上がったのである。
車のデザインは、スケッチから始めるものだと思っていた。が、このように、ディメンションで雁字搦めになってからでは、思うようなデザインができるのかとの不安がつのった。