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第71話. シクラメン

1976年

研究所専務の特命を受け、「ホンダアコード」3ドアの、エンジン停止後の再スタート不良の問題解決作業が動き出す。検討はまず、エンジンルールがどういう状態なのか、現状を知ることから始めた。
さすがに、CVCC(複合過流調速燃焼)方式のシステムを組み込んだエンジンルーム内は、エンジンと補器類でびっしりである。新しいボンネットを用意し、どの位置に、どの位の大きさの、どんな具合の通気孔を開ければいいのか、いろんな孔を開けた現物を何枚もつくり、それをもとにとっかえひっかえ、試行錯誤の実走テストが繰り返された。 
分かったことは、熱は上へ上へ、そして温度の低いところへ流れるようである。従がって必ずしも通気孔は、温度の一番高いキャブ(気化器)の上でなくても良いということ、もう一つ、嬉しいことに、ボンネットとフェンダーのチリ(隙間)をうまく使うと、随分と通気面積が確保できることが判った。
そこへ、併行して進めていた「雨じまい(雨水の処理)」のテスト結果が出て、前輪のストラットサスペンション(懸架装置の一種)の頭の後方辺りなら、通気孔の位置として雨じまいの問題がないとうことが明らかになった。これらを束ねて、対策の方向を定めてゆく。
通気孔の実質開口部は、当初に想定した大きさの1/3に、そして位置は、ボンネット両脇後方に決まり、やっとデザインをやる気になった。ボンネットの上に粘土を盛り、なんとか格好のよいものをと、形状づくりをしているところへ本田さんが現れた。
「何をやっているんだい」と聞かれたので、びくびくしながら、「熱を抜く孔を、ボンネットに開けています」と答えると、「空気の気持ちを、よく考えてやれよ」と、妙にやさしく言って立ち去って行かれた。
ホッとした気持ちで、いただいた言葉を頼りに形をつくり上げる。あとで聞いたところ、孔を開けるアイデアを出したのは本田さんだったらしい。やっぱりそうだったか。さもありなん、である。
これが縁で、4人のメンバーは大の仲良しになった。このころ巷では布施 明の、「シクラメンのかおり」という歌が流行っていた。私はこのチームの名称を、「シクラメンの顔(かお)」と名付けた。
曰く、この4人は、オオ倉、オ倉、シラ倉、イワ倉、すなわち「4倉MEN(シクラメン)」であったと言うわけだ。たちまち研究所内で有名になったのは言うまでもない。後に、人選をしたのは研究所専務だと聞いて、こちらも頷けた。

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