第89話. 一の字
1979年
「腰が入っているかどうか、出来たものを見ればすぐ分かる」と本田さんが。一瞬ぎょっとした。「こんなんじゃ、とても駄目だ」と言われたのも同然。初代シビックの成功に続いて、初代アコードもヒットし、そのモデルチェンジというので、2代目「ホンダアコードシリーズ」の開発には力が入っていた。
デザインモチーフは、日本的なものにと構想を固める。それをどう形に表わすか悩むところ。この頃わたしは、漢字の「一」の字に夢中になっていた。「一」は、文字の中で最も単純かつ基本である。
小さい頃、習字で随分と「一」の字を書いた。筆先の入れ方、運び方、終わり方、抜き方、簡単なようで難しい。ふと、「腰が入ってない」と言われた本田さんの言葉と「一の字」が重なった。「一」を一本の線と見立てると、絵を描く作業と同じで、字も絵も相当の「技」が要求される。では、その「技」を磨くとはどういうことなのか。
私なりの考えだが、「技」という字を分解すると「手」偏に「支」えると書く。「手」は指先から肩口までの、指先、手先、小手先、腕からなる。人差し指を鍵型に曲げるのは「盗人、泥棒」、悪いことをすること。「手先で仕事をするな」とか「小手先仕事」などは、未熟だったり気が入らなかったりのことで、いずれも、下品な仕事ぶりや素人仕事を指す。
手全体、いわゆる腕が使えるようになると、「腕前が上がった」と言ってもらえる。「技あり」とは、腕を支えている「胴」を使って事に当たることを言う。胴には腹もあれば胸もある。腹がすわったとか、度胸があるとか言われてきた。が、それでもまだ「名人」とは言ってもらえない。
胴は「腰」の上に、その腰は身体の「要」である。「腰が入った」とは「身体全体を使って」とのこと。身体全体でぶつかって行く者にはかなわない。当然、気合がこもって勢いがある。そうなれば自然と、つくった人の気持ちが相手に伝わるものだ。
こうした力は「伝播力」と呼ばれ、技も「名人技」と言われる。手先や小手先でやった商品には力がない。「一の字」はクルマに似ていると思うようになった。筆を入れたら一気に最後まで、前端から後端まで腰を入れないと勢いのあるシルエットは描けない。
2代目アコードのデザインモチーフを「日本刀」にした。そして2年後、この車はアメリカのオハイオ工場で、日本の乗用車として初めて生産される車となった。「貫道する物は、一なり」と芭蕉は言っている。
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