第156話.サンバ
1990年
機種開発評価会のさなか、「社長から電話です」と。「お急ぎのようですか」と聞くと、「成田空港への車中からとのことです」とのこと。中座して電話に。本田技研社長は北米ディーラー大会で、4代目「ホンダアコード」のお披露目をするため出かけるところらしい。
「何事ですか」とお尋ねすると、「次のシビック(5代目)はどうなってる?」と。「やっと、4代目アコードの量産に漕ぎ着けたところですから」と、答えにならない返事。「こんどは、キープコンセプトじゃ、とてもやって行けないぞ」と厳しい口調。
革新的な3代目シビックのあと、4代目は世界中で評価は高かったものの、キープコンセプトの感は否めなかった。今回の4代目アコードも、日本のジャーナリストからは、通称「RD」と呼ばれている3代目にくらべ保守的と指摘されている。
景気も先行きが怪しくなり競争も熾烈を極める中、社長もイライラがつのっているようだ。「じゃあ、成田に着いたから」とのことで、こちらもホッとして「分かりました。お帰りになるまでには、なんとか」とつい答えてしまった。「それでは頼みます」と電話は切れる。「また言わされてしまった」と思ったがあとの祭り。
私はこれまで、4代にわたってシビックの開発に関わってきた。もういい加減種切れである。そこで若い連中に集まってもらい、社長の電話をかい摘んで伝えた。「僕はもう『種なしかぼちゃ』だから」と兜を脱いで、「みんなで考えてよ」とお願いする。
しばらく心配しながら待っていたら、「ワイガヤをやりたいので」と、最近新しく六本木に出来たホテルに呼ばれた。若い連中はすでに、何日間もそこに篭って絵を描いていたらしい。その割には、車の絵が一枚も見当たらないので不思議に思っていると、「まず、このビデオを見て下さい」と。派手な音楽とともに画面が現れた。リオのカーニバルである。
「どうしたのこれ」と、さすがに度肝を抜かれて訊ねてみたら、「今回のシビック(5代目)は、これで行きたいんです)と言う。「これって、何なんだよ」と聞くと、若いデザイナーは涼しい顔で「サンバです」と。そして、こんな説明をしてくれた。「これまでのシビックは理詰めでつくられてきた。これからの世の中は行き詰まって暗くなるはず。だから、理屈抜きでパーッと明るくやるべき」と言う。「そうは言ってもねえ」と心配げな私。「お気持ちは解りますが」と、一枚の絵を持ち出してきた。
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