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第142話. 富士山

1988年

「日本人は、どうして富士山が好きなんだろうね」と本田さん。咄嗟のことに「美しいからだと思います」と。「どうして美しいんだい」と聞かれ答えに窮した。2代目「ホンダレジェンド」の開発に着手した頃のことである。
小さい頃から、富士山の絵を随分と描いてきた。三輪山の優しい姿も大好きだが、富士山の厳とした美しさは年を重ねるほどに好きになった。美しい理由の一つは、「対称形」にある。それに、噴火という自然の力がつくった稜線の「放物線」、さらには飛び抜けて、「高く」、「目立つ」ことだ。
北斎をはじめ、時代を代表する一流の画家が惹かれたのもその辺にあろう。加えて、その変化の見事さにある。春夏秋冬、朝な夕な、雪月花、飽きることがない。本州の真ん中にあって百里離れた先からも眺められる。もっと凄いのは、「不二」と言いながら日本中に、おらが国のいろんな「富士」が一杯あることだ。
大戦後、西洋から見た日本のイメージは「ふじやま、芸者」であった。国際的でもある。こんな車が出来たらいいなと、本田さんはそういう気持ちで問いかけられたのだろうか。
「対称形」と言えば、「富士山」も「美」という字もそうである。「日月」も「木火土金水」も。日本人にとって大切なものに「対称形」が多い。対称形は見えない正中線を内在し、天と地を結ぶことで神々の降臨を予感させ、一種の安心感をも与えてくれる。
また、その正中線を軸に対称に描かれる放物線は、強さと美しさの現成と言えよう。それも力まかせではなく、しなやかな強さ芯の強さである。例えば、竹のしなりや城の石垣の稜線、私は最近、これらの要素が人の身体に似ているような気がしてならない。
「対称形」は言うに及ばず、身体の造りは、胴、腕、小手先、手先、指先と、まるで竹のようで、先へ行くほどに細く短くなる。水泳や体操の選手が鍛錬された動きの中、美しい「放物線」をつくる人ほど強いと言われる。それにまた、大きいとか強いとかは誰もが憧れるところだ。
北斎の絶筆は富士を超えて天に上る龍の絵である。彼は「富士」を「不二」と呼び、その気高い美しさを終生の目標としていた。「不二」とは「二つとない」という意味、「独自性」ということだ。日本人の富士山に込める想いは、こんなところにあるのではないか。私自身も富士の姿に憧れ、このようになりたい、そんな造形をしたいと想って久しい。これからもずっと、その想いは変わるまい。


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