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第16話. 100マイルカー
1968年
「アメリカは、今や時速100マイル(160Km)カー時代ですよ」と、出張で日本に来たアメリカンホンダの責任者が研究所で話をされた。N360の成功の後、そのお客さんが次に乗る車として、エンジン排気量800ccのセダンタイプの開発が始まっていた。私なりにトヨタ・パブリカぐらいの車かなと。
60年代後半ようやく日本も、名神に続き東名が開通。さらに各地で高速道路の建設が進み、世はまさに高速時代に入ろうとしていた。若い頃「カーチス号」をつくり、S600で自動車産業に参入し、F1で世界に挑んだ本田さんにとって絶好のチャンスが到来したのである。
またN360の成功が、圧倒的な性能によるものであったとすれば、「時速100マイル」は、次に求める魅力的な指標となったはず。そのせいか、開発を始めたばかりの車の性能を上げるため、日を追うごとに排気量が大きくなり、とうとう最後には1300ccまでになった。
排気量やサイズは、車の性能や性格を決める要素である。デザイナーは排気量のアップに対し、パワーに見合ったスポーティーな格好を考えたりサイズに合わせて車格感を出すなどして、その車独自の形をつくる。
が、デザイン作業が進む中で、全長はどんどん伸びていくものの、車幅は当初のままである。本田さんの考えでは、空気力学的には前面投影面積(幅×高)が小さいほどスピードが出るし、車幅増が重量増に及ぼす影響が大きい、だった。100マイルカーの実現を目指して、エンジン性能、空力性能、重量軽減に邁進した。
その後この車は、「ホンダH1300セダン」という名で発売。エンジンの馬力によって、「77」と「99」の2タイプが用意された。確かに、高速道路を時速100マイル(160Km)で走るなら感動的な車になっていた。が、「いい車か」と問われると、残念ながら「尖った車」と答えるしかない。
デザイナーとしての心残りは、あまりにも細長い車になってしまったこと、それに、四角張った形になってしまったこと。心残りとは言うが果たして、こんな車に「したい」という強いイメージがあったかと聞かれると心もとない。
もう一つ、これは重要なことだが、N360のユーザーにとっては、とてもステップアップできる車ではなかったということだ。デザイナーは形をつくるだけでなくその前に、お客さんの心を見据えたしっかりした企画立案能力を備えることが必須であると痛感した。