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第94話.怪我の功名

1980年

2代目「ホンダプレリュード」の開発は、チームメンバー全員が「矛盾」との戦いの中にいた。無理を承知でやることも多く、中には失敗もある。発売後に、特徴の一つになった点灯時ホップアップするヘッドランプは、最初から意図して出来たわけではない。
恥ずかしい話だが、ボンネットの高さを下げ過ぎたあまり、気が付いたらヘッドランプの位置が、保安基準で定められた高さよりはるか下になっていた。認定取得を担当する部署から、「これでは認可がとれない。したがって売り物にはならない」と言われてしまう。
慌てて、ヘッドランプをホップアップさせる検討を開始。時間のない中での奮闘努力、やっとの思いで認可が取れたという冷や汗ものではあった。「怪我の功名」とでも言おうか、これが特長となって人気を博す結果となる。
そんなものだから、このあと出てきたスポーティ車はもちろん、ボンネットが高く、こんな仕掛けなど必要としない普通のセダンまで、各社こぞって採用してきた。いわば、一種のファッションをつくってしまったのである。「無理を通せば、特徴とび出る」、これはこの時に私のつくったデザイン訓。
2代目プレリュードを成功に導いたのは、「コンセプト」が誰にでも分かる明解さを持っていたこと、開発メンバー全員の「想い」が「これしかない」という気持ちで一致していたからだろう。
こうした中から、ホンダの技術コンセプトの「MM思想(マンマキシマム、メカミニマム)」が生まれた。この体験から私は、普遍性(永く万人に好かれること)と、先進性(時代に適合し未来を感じさせること)と、奉仕性(人の幸せや社会に役立つこと)の3つが高い次元でバランスされているものは、多くの人を魅了できることを知った。
不可能命題とも言うべき「矛盾」との戦いは、大変苦しいものであったが、それだけに、このプロジェクトの成功は、その分、みんなの「自信」に繋がったのではないだろうか。
市場の評価を得た初代シビック、2代目プレリュード、いずれをとっても、「これまでにない」という冠詞をつけられ、世界中の人に歓迎された。余程のインパクトがあったのだろう。いずれも、同じ様な車が続々と登場した。ものづくり屋冥利に尽きるというものである。
成功しなかった2代目シビック、初代プレリュードは、積極的な冒険を避け、安全圏を狙ってデザインしたものだったような気がする。そしてこれらを、誰も追っかけてこなかった。

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