第220話.マルG
1997年
6代目「ホンダアコード」をベースにして、欧州生産用のアコードのデザイン作業が佳境に入った頃である。本田技研社長から直々に頼まれている「ホンダのアイデンティティ」の検討も、「マルG(丸で囲んだG)作戦」の名のもとチームを編成し本格的に動き出していた。
が、調査が進むほどに、かつて高かったはずのドイツにおけるホンダのプレゼンスが、あまりにも低くなっているのに愕然とし、このままではと、気ばかり焦る毎日であった。
この10年余りのあいだに、何が起こったのだろうか。一つには、ヨーロッパメーカーの頑張りである。80年代の、ヨーロッパ市場における日本車の台頭を目の当たりにした欧州勢が、すぐさま矛先を日本メーカーに向け、製品開発に力を入れるとともに、日本のメーカーにはない「アイデンティティ」の強化を図ったのだと見る。
そうした考察の上に立って、「ベンツ」「BMW」「アウディ」などの主要メーカーが、どのようにしてこの「アイデンティティ」なるものを強化したのか、徹底的に調べてみることにした。
二つには、ホンダ自体の問題である。80年代に入って、アメリカへの4輪生産進出と販売網の拡充、それに、日本、アメリカ同時の販売チャンネルの増加とラインナップ強化。
さらに加えて、ヨーロッパにおける生産拠点の確立に至るまでのローバー社との共創と、ホンダのあらゆる資源はこれらに向けられた。
これが80年代から90年代初頭にかけてのホンダの姿である。この難しい状況をホンダは、うまく切り抜けたと思う。
が、手を拱(こまね)いては明日などない。実際、個々の商品の中身は薄くなっているし、失敗を恐れ、ついつい保守的になっているのは否めないところだ。
欧州勢の成果に学び、再びドイツで「ホンダは凄い」と言われ、その評判を世界に拡げたい。そんな気持ちを込めて、マルGの「G」はグローバルの「G」、それとジャーマンの「G」からいただいた。
まずは、AMS(ドイツのモーター雑誌)に評価を受け、さらに、「ベンツ」や「BMW」、それに「アウディ」から一目置かれるような会社でありたい。そのためにはなんとしても、技術力を高め個有性を磨く必要がある。
それが、ホンダの「アイデンティティ」の確立に繋がるはずだ。「BMW」や「アウディ」と同じく、10年を懸けたら、ホンダにだってできるに違いない。目指す目標を明確に定めて、粘り強く、根気よくやることである。