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第80話.関西人気質
1977年
2代目「ホンダシビック」の企画に難渋し、場所を変えて考えてみようと、研究所社長に連れられ関西への旅に出て2日目、あわただしく朝食をとり六甲ホテルを後に。三宮から電車で京都に向かう。新幹線で行けば早いのにと恨めしく思いながら、社長と並んでつり革にぶら下がった。乗客の関西弁が耳に懐かしい。
車中から外を眺めながら、「東京とは景色が違うね」と社長。「何が違うのかね」と質問が続いた。この車窓風景を見せたいがために、在来線を選んだようだ。私の生まれは和歌山だから、少し外れているとは言え関西人のはしくれ。何とか答えなければと考えた。丁度、酒造りで有名な灘市の辺りにさしかかった頃である。
あれこれと考えてもなかなか良い答えが見当たらず、ままよと、感じたままに「看板でしょうか」と答えると、「かもね」と。当たらずも遠からず、という返事が返ってきた。建て屋よりはるかに大きい看板が、屋根の上にそびえ立つ。それも、白と赤、白と黒などとコントラストがはっきりとして分かり易い。
東京では考えられない程のどぎつさで、なにしろ目立つ。自己主張に遠慮がない。それが、雨後のたけのこのようにニョキニョキと立っている。須磨の和洋折衷の旅館といい、神戸の和風洋館といい、この灘の看板といい、なんとも刺激的である。
東京の道路では、ほとんどの車はクラクションを鳴らさない。交通規制も良く守る。銀座のネオンサインも、なんとなく上品なパステルカラー調である。それに較べて関西は、御堂筋を走るとクラクションは鳴りっぱなしだし、北の新地のネオンサインは三原色。なんとも派手で賑やかだ。どちらがよいという訳ではない。日本の西と東でこのくらい違うのだから、世界はもっと違って当然だろう。
初代シビックは、日本人が、日本人のために、日本でつくって、外国へ持っていった。だがこの次のシビックを考えるには、最初から「世界」を頭に置いて考えなければならない。世界中の国々の、風土や習慣の「違い」を乗り越え、喜んでもらえる車など果たしてつくれるだろうか。
この一両日の短い旅は、私に、たいへん示唆に富んだ体験をさせてくれた。「ふたつの違ったものを一つにする」、「遠慮しないで目だって見せる」。これまで、怖がったり恥ずかしがったりで避けて通ってきたところでもある。度胸をもってやってみるか。明治の頃、神戸から世界へ、船出した先人の気持ちを重ねてみる一日だった。