見出し画像

第120話.「安全なくしてデザインなし」

1984年

あるメーカーの車で、幼児がドアガラスに首を挟まれて死んだ。自動車開発に関わる者なら、急激に普及してきたパワーウインドゥに因るものとおおよそ見当がついた。ドアガラスを半分ほど開けたまま幼児を車中に残し、親がちょっと車を離れた隙の出来事だったという。
親の責任はさて置き、車として技術として、何が問題だったのだろうか。問題の車を見てみると予想通り、アームレスト(ドアの肘掛)の上面にシーソー型スイッチが配置されていた。「開」も「閉」も「押して」操作する。幼児が途中まで開いたドアガラスの上端に手を掛け、椅子からアームレストに足を乗せた時、運悪く「閉」の方を踏んだものと。
それにしても、ガラスを上げる途中何かが挟まれば、すぐ停止するよう設計するのが常識。トルクセンサー(負荷感知装置)の要件設定が甘かったのか。慌てて自分たちの車を確かめた。幸いにもスイッチはレバータイプでドアの内側に縦に取り付けられ、ガラスの動きを止めるトルクセンサーも、かなり弱い力でも感知するよう設定されていた。
胸をなでおろしているところへ本田さんが。「新聞読んだか。ウチのはどうだ」「大丈夫と思います」「…と思います、か」「ハイ、ちゃんと確かめます」「そうしてくれ」のやり取りの後、「車は人の命を預かっている。君たちは人の命を預かっていると思って仕事をしてくれ。デザインより安全が先だ」と。
「安全なくして生産なし」という本田さん直筆の色紙は社内でよく目にする。これまで、ともすると目新しさや格好良さを優先にデザインしてきた。そして、これがお客さんのためになるはずと、勝手に判断してデザインしてきた反省がある。自分の日常やっていることが恐くなった。
念には念をと、普通では考えられないほどの「意地悪テスト」を繰り返し、大丈夫との結果を得た上、さらにスイッチレバーの両側に少し高めの土手をつけ、幼児が容易に操作できないようにした。センサーのトルク量についても慎重に再設定。これまで手のひらや腕ぐらいに考えていた介在物を、もっと柔らかいものに要件を見直す。
その結果を、全車同時に量産設変(仕様を量産途中で変更すること)した。生産や販売に混乱はあったが、一気に安全意識が徹底。今から思えば身震いするほどの意志決定であった。頭で覚えたものはすぐに忘れる。心に刻むことだと肝に銘じた。「心でデザインしなさい」という教訓だった。

いいなと思ったら応援しよう!