第68話.うしろ姿
1975年
「車はな、うしろ姿が大事なんだ。運転してると、向かってくる車の前は、あっという間に見えなくなるだろ。それに引き替え、前を走っている車のうしろはずっと見ていることになる。格好の悪い奴の後につくとうんざりだ。長く見ていて飽きないのがいい」と本田さんが。
「小股の切れ上がっているのはいいもんだ。それに、お太鼓のようなのもいいんじゃないかな」とも。うしろ姿の大事さはすぐにも理解できた。が、「小股の切れ上がる」と「お太鼓」は、なんとなく分かる気もするが宿題となった。初代アコード3ドアのクレイモデルを始めたばかりの頃。
その後、いろんな車のうしろ姿を真剣に眺めるようになった。キリッとしているものだらしのないもの、どっしりしているもの尻軽なもの、主張の強いもの影の薄いものと様々である。言われるように「飽きない」見え方をする車は間違いなく存在し、しかもそれらは形こそ違え多くの共通点を持っていた。
この時に得た確信が、あとあとの車づくりに大きく影響を及ぼすことになる。勉強して分かったこと、まず「小股」について言えば、諸説はあるが江戸時代に生まれた言葉で、「股」の前に「小」が付いたとされる。
「股」は当然両足の分かれ目。それが「切れ上がっている」とは、足が長いというか腰が高いというか、お尻がきりっと上がっていること。生まれつきもあるだろうが、運動で鍛えたお尻の形と見る。チャキチャキの江戸っ娘が、溌剌と歩くうしろ姿に色気を感じての言葉であろう。「小」だが、小粋とか小生意気とか、一寸洒落て言う時その言葉の頭に「小」を付けるのが流行った。
次に「お太鼓」だが、もちろん帯結びの一種である。もともと帯は前で結んでいたが、ファッション性を帯びて「結び」が大きく華やかになり、あるとき前にあるのが邪魔になって、ひょいと後ろに回したのがきっかけと聞く。
中でも、お太鼓結びは珍しく大いに人目を引いた。亀戸の芸者衆が結び始めたらしいが、よほど江戸っ子の目に格好良く色っぽく映ったに違いない。すぐに江戸っ子の間で広まった。おそらく、小股の切れ上がった娘さんには良く似合ったのだろう。
「そうか、やっぱり色っぽい個性か」と。そんな気持ちを心に秘めて、小股の切れ上がった江戸っ娘のお太鼓姿を頭に浮かべながら、アコードのうしろ姿をデザインした。日本はもとより外国でも、「うしろ姿が、いいね」と言われて不思議な気持がしたものである。
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