知らなかった「コザ騒動」
アメリカ施政権下の沖縄で起きた「コザ騒動」は、「コザ暴動」「コザ事件」「コザ反米騒動」といった言葉が使われていて、沖縄の人々の米兵への怒りがあらわされた事件といえると思います。2020年には、50年を記念した特集記事が多く作られています。「騒動」であれ「暴動」であれ、この言葉だけではなかなか、この事件の意味は伝わりにくいところです。以下は、学生メンバーの小田さんがまとめた文章です。
1970年12月20日に起きた暴動。以下のような経過をたどりました。
コザ市内で、道路を横断しようとした市民が、米兵の運転する車にはねられました。その後米憲兵が自己処理をしている時に市民が憲兵を囲んで騒然となったところで、別のところでも米兵が事故を起こします。ヒートアップした群衆に米憲兵が威嚇発砲したことにより、暴動に発展します。
当時アメリカ軍が犯した犯罪の捜査権・逮捕権・裁判権は、アメリカ軍に委ねられていて、非公開の軍法会議で裁かれるが、無罪や微罪になったりと、きちんとした処罰がおこなわることはほとんどありませんでした。また、罪に問われても、被害者への賠償がほとんどありませんでした。この状況に対する不満が積み重なり、騒動が起きたものとされています。