弘前市のランドマーク「一戸時計店」を始めた、曽祖父一戸友太郎
私の曽祖父一戸友太郎は、弘前市の中心部にある時計台のある時計店、一戸時計店を始めた人物です。一戸時計店は、叔父が亡くなったあと後継者がいなくなり、現在は「旧一戸時計店」として、保存整備が進められています。私自身の「生家」ではないのですが、祖父母の家として、とても思い入れのある、思い出の多い場所です。
友太郎は、私の父が生まれるのと前後して亡くなっており、父の記憶にもほとんどないようですから、もちろんその子供の私もなにも知りません。が、今回、親戚の家から送られてきた写真が、どうやら一戸友太郎のようで、はじめて「ひいじいちゃん」と対面(?)することになりました。
親戚の家から出てきた写真に、特に情報は付加されてはいないのですが、写真をみてすぐに気が付きました。弘前れんが倉庫美術館で展示された作品「いのっちへの手紙」で、一戸時計店の絵の近くに、配置されている人物でした。この作品では、美術館に生まれ変わった吉野倉庫の背負っている歴史や、その周辺にある歴史的建造物、弘前昇天教会、一戸時計店といったものにまつわるストーリーを、タイのアーティスト、ナウィン・ラワンチャイクンさんが作品化したものです。私の父もインタビューを受けたと聞いていて、一戸時計店の周辺には、祖父母、叔父叔母、父といった人物が描かれ、その一番上に、この人物が描かれています。創業者の一戸友太郎を大きく描いたのでしょう。
父からこの写真を見せてもらったことはないので、ナウィン・ラワンチャイクンさんにこの写真がどこから提供されたのかはわかりません。この作品のことを記憶していた私に、この写真が届き、突如として一戸友太郎が姿を現しました。
友太郎は、一戸時計店の創業者ですが、時計台のあるこの店を作ったのは、別の人物です。大正9年(1920年)に、仙台に本店のある三原時計店からこの店を譲り受けて、一戸時計店としたとされています。同時期に、弘前昇天教会も、レンガ造りの礼拝堂を建設しました。この教会で信徒となり、教会に通うようになったのが、一戸友太郎です。教会の中にあるタバナクル(聖櫃)の中に、友太郎のサインが書かれていたと、以前父にききました。
大正時代、先端的な(?)西洋技術が用いられた時計屋を営み、教会に通いはじめた曽祖父友太郎。それがどの程度進歩的なことだったのか、当時の弘前の様子を知らない私には、想像するしかありません。友太郎がなにかを書き残したということもないのですが、写真が見つかったことで、少し想像力は掻き立てられるような気がします。