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宗谷・樺太キーワード「天北線」:最北へ人々を運んだ鉄路は今

育英館大学
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稚内への鉄路は、当初オホーツク海側を通るでした。のちに「天北線」と呼ばれた路線について紹介します(担当:本田) Music by Ikson.(育英館大学の授業で、学生が制作した音声コンテンツです。)

天北線は、1989年に廃止され、現在では多くの人に存在を忘れ去られてしまった鉄道です。

この路線は、1914年に開業後、音威子府を始発として30にもおよぶ駅を繋ぎ、浜頓別や猿払、稚内市内の沼川駅などを通って、南稚内が終点となる路線で、距離148.9kmに及びました。国鉄や、これを引きついだJR北海道によって、運行されました。

天北線は当初、宗谷本線のルートとして1922年に稚内まで開通、稚内、さらに南樺太に連絡する役割を担いました。その後、1926年音威子府から幌延経由で稚内まで通る新たなルート、天塩線が開通し、1930年には幌延を経由するルートを宗谷本線に編入、旧来の浜頓別経由のルートを、北見線として分離しました。
北見線は、1961年の白紙ダイヤ改正を機に、天北線に改称されています。

宗谷本線から切り離された天北線。国鉄再建法や国鉄分割民営化の影響により、1989年5月をもって路線廃止となっています。

天北線廃止から30年以上が経過しました。天北線の跡はいま、稚内・宗谷では、JR稚内駅や、恵北開基百年記念碑付近などに残されています。

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