映画「星のフラメンコ」に1960年代の台湾の風景を見る
2022年2月20日、西郷輝彦さんが亡くなりました。かつて「御三家」といわれた人気歌手の訃報は、大きく報道されました。
その後しばらくして、BSNラジオで近藤丈靖アナウンサーが真似する「星のフラメンコ」をききました。おそらくは「追悼」の意味でモノマネをされたのかと思います。「星のフラメンコ」はかつてラジオ番組の「コサキン」でも替え歌になっていたので、私自身はどちらかというとそれで知った世代です。
あらためてこの曲のことを調べてみると、同名の映画が1966年に公開されていて、中身も台湾を舞台としたものであることがわかり、興味がわきました。
しばらく、Amazonプライムでウォッチリストにいれてありましたが、見てみました。人気歌手のヒット曲の同名映画ですので、正直あまり期待はしてなくて、60年代の台湾の風景は面白いだろうという程度でした。が、倉本聰さんが脚本を書いたこの作品、映画そのものも面白かったです。
日本側からみると台湾はすっかり「外国」になっていたけれども、台湾の人々はまだ多くの現役世代が日本語を話している(ということに、台湾を訪ねた主人公が気がつく)。台湾からの引揚げの際のできごとも物語のキモになるという点、台湾各地に残る日本の歌のこと、この辺にどの程度リアリティがあるのかはわからないのですが、でも興味深いのは確かです。もちろん台湾の60年代の風景も興味深く、訪ねてみたかったという気持ちにもさせられます。
東京の60年代のカラー映像は、そんなに貴重というわけではないのですが、調布駅周辺の風景や昔の京王線の車両は、初めてみました。
私が知らなかっただけで、今回追悼番組でテレビ放送もされたかなと思って調べてみましたが、放送はなかったようです。ただし、AmazonでDVDは高騰しているので、訃報を受けて、映画を見ようとしている方もいらっしゃるのでしょう。
台湾側の出演者の情報は日本語ではほとんどないのですが、相手役の姉妹、お姉さんは香港の女優、汪玲さん、ルーツは江蘇省呉県(現在蘇州市)にあるようです。
妹の藍芳さんは、台中出身で当時の芸名、井上清子、その後光川環世という芸名になったようです。お父さんの仕事で来日し、そのまま日本で芸能活動をしていたようです。
西郷輝彦さん演じる主人公が、物売りの少年にお金を握らせたのに対して、「商品を受け取らずに金を握らせるなんて、貧乏人をバカにするな」と少年が抗議するシーンがありました。日本軍に母を殺されたという男性が、「あんたは母を探せるだけまだいい」というシーンもあります。
経済復興を遂げた日本に対して、貧しさがまだ色濃い台湾。依然として台湾に残る戦争の傷跡。もはや想像つきにくくなっている、日本人の台湾イメージ(あるいは台湾の実像)が、さまざまなところに現れていました。
映画のロケ地は必ずしも特定できませんでしたが、日活のデータベースでは、台湾でのロケ地は、以下のように記されています。
台北や淡水の市街地の場所も、当時を知る人が見たら特定できるのかもしれませんが、私には無理でした。