長崎の撮影が終わって、徒然に
みなさん
自粛期間いかがお過ごしですか?
人生の中で経験することのない社会状況にあるのは間違いないですね。
出来る限り、従順に自宅待機をしております。
元々、数年前から飲みニケーションとかを人とかかることを控えていたので、一人で自宅に居ることにはとても慣れているのですが、誰かに指示されてやるのと、自らやるのとではストレス量は雲泥の差はありますね。
出来る限り、ストレスがないように工夫することで、考え方の前向きさは違ってくるかなとおもって、明るいプロジェクターを購入して映画など観るようになっています。
こんなことが起こっても、どんな状況になったとして、「それでも地球は美しい」と思える目をもって撮影していたいです。
さて、ちょうど二年前に長崎での撮影をしていました。
世界遺産登録される前にいけた長崎は、とても空いていて順調に撮影ができました。正直、1週間では全てのマリア像を撮影できなかったので、残念でしたが、とても貴重な経験ができました。土地の方とお話をしたり、美味しい料理を食べたり、美しい風景を目にすることができました。
ぼくは18歳で写真の仕事を始めたときに多くの人たちに褒めてもらえた写真が広島の「原爆ドーム」の写真でした。だからこそ、広島の次の「原子爆弾」を落とされた長崎に行きたかったのですが、20年も経ってしまいました。
20年前広島。
初めて見た。「原爆ドーム」第二次世界大戦の時に「原子爆弾リトルボーイ」が落とされました。
その時のことを伝えるため残されている「原爆ドーム」多くの苦しみの中この立っている場所で、多くの国民が嘆き、苦しみ、惨めに助けを求めていたことでしょう。想像するだけで、体の中から寒気が襲ってきました。
この建物を撮影しなければと。
まだ、写真を始めたばかり、コンパクトカメラで必死に撮影していました。
その20年後長崎にいました。長崎も同じです。
広島に落とされた数日後に「原子爆弾ファットマン」が落とされました。
日本以外に2つの「原子爆弾」を落とされた国はありません。
コンパクトカメラからデジタルカメラに変化して撮影をしている。
時代は変わりましたが、この柱は当時から残っているものをどう切り取るべきか、焼き付けるのか考えました。
長崎の旅は、やっとひとつの区切りを付けることができました。
さて、2018年の最後は群馬県になります。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
撮影の旅費として使用したいと思います。