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愛妻家フォトカウンセラーやまちゃんの日常108

覚えておきたいおばあちゃんの話

2016年1月にフェイスブックに投稿した過去記事です

埋もれてしまうので、こちらに転載しておこうと思います。

2016年1月16日、うちの母からおばあちゃんが倒れたと連絡があった。

クモ膜下出血をしていて歳も歳だし、手術も出来ないから

ちょっと難しいかもしれない。もう97歳だしね・・・と。

すぐに行くよ!と言いたかったが、色々なことを考えて躊躇してしまった。

明日は大事な研修もある。

雰囲気を察して、母は「仕事も忙しいんだし、無理しなくていいかんね」と

言ってくれた・・・

僕は、「うん」と言いつつ後ろ髪引かれる思いで電話を切った。

電話を切った後、真由美ちゃんに事情を話すと、

「行かなくていいの?話したいことあるんじゃない?」と言ってくれた。

そう、僕にはおばあちゃんに言っておきたいことがあるんだ。

25歳・・・そう今から19年前、僕は1年やっていた常勤講師を辞めて

次の、教員採用試験に向けて実家で勉強していた・・・

と書くと何やら聞こえがいいが、まあプータローだ。

本当に勉強していたらまだましだが、勉強もせず、プラプラとしていた。

仕事をしていないので当然お金がなく、何も出来ずに悶々としていたのだが、

たまたま母方のおばあちゃんの家に行く用事があり、行ったところ、

「よく来た、よく来た」と言ってお小遣いをくれた。

いい歳こいて恥ずかしいが、これが実に嬉しかったし、助かった。

すっかり味をしめた僕は、しょっちゅうおばあちゃんを訪ね、

その度にお小遣いをもらっていた。

何回か通っていつものようにお小遣いをもらって帰る時、おばあちゃんは、

「おめえには、来たらいつでもお小遣いやっから。大事な孫だかんな。だから立派

な人さなるんだぞ」

と言ってお金を握らせてくれた。後ろめたさと、恥ずかしさで逃げるように家を

飛び出したのをよく覚えている。

ただ、その後もダメダメな僕は懲りもせず、せっせとお小遣いをもらいに行き、

一年が過ぎた。僕は実家から少し離れたところの高校の常勤講師が決まり、

そこで働くことになった。

そこからの色々な紆余曲折があり、今自分は学童保育の責任者をしている。

子どもたちの未来を作り出す素晴らしい仕事だ。

今、この仕事に就けているのは、おばあちゃんのおかげだって、

伝えたかったんだ・・・

何とか、仕事の都合をつけ、1月19日に会いにいくことにした。

前日の母からの情報だと、もう話には反応しないとのこと、

一瞬行っても無駄かとも思ったが、

真由美ちゃんに「反応しなくても、絶対聞こえてるから、話してきなよ」

と言われ、気を取り直した。

車で福島県いわき市を目指す。おばあちゃんの家は、東日本大震災で被災し、

今も立ち入り禁止区域になっている。母の兄夫婦が面倒を見ていたが、

被災地に戻ることをあきらめ、いわき市に新居を構えたと聞いていた。

今回僕はその新居に初めて伺うことになる。

おばあちゃんがいつどうなることかと気はあせるのだが、

日頃の疲れのせいか眠気で運転がつらい。

何とか休みながら昼過ぎにおばあちゃんのいるおじさん宅に着くことができた。

おじさん、おばさんが出迎えてくれる。

「しんちゃん、忙しいのにありがとねぇー」

「無理してこなぐてもよがったのに」

いつものように優しく声をかけてくれた。

一言

「おばあちゃんは」

と聞くと

「うーん、あんまよぐはないねー、昨日までは呼ぶとうなづいたし、

みんなで歌うたったら涙流してたりしてたんだよぉ。

でも、今日はもう反応しないねー、まあ、会ってあげて」

と言われた・・・

家に入り、すぐ隣のおばあちゃんの部屋に通される。

ベッドに寝ているおばあちゃん・・・

叔母さんが、おばあちゃんの耳元で

「おばあちゃん!しんちゃん来てくれたよ!わかる!しんちゃん!」

「おばあちゃん!しんやだよ!会いに来たよ!」

「・・・」

呼吸していることだけがわかる。やはりだめか・・・

しかも、おじさんおばさんがいるところでは、

恥ずかしくてまともに話すことも出来ない・・・

隣の部屋に移り、おじさん、おばさんから今回の経緯を聞いた。

「ついこの間まで元気だったのに、転んだ拍子にあんなことになっちまって、

それが残念でなんね」

おじさんが残念そうに言う・・・

話を聞いている最中に、別の来客があった。

やはりおばあちゃんのお見舞いにきたようだ。

おばあちゃんを見た後に、こちらの部屋に来たので、それとさりげなく入れ替わり

「おれ、もう一度おばあちゃんと話すわ」

と言って一人おばあちゃんの部屋に行った。

仰向けてちょっと口を開いているおばあちゃん・・・

部屋には、綺麗な光が差し込んでいた・・・

この光景を忘れないようにしよう・・・

そう思って持ってきたカメラで何枚かシャッターを切った。

シャッターを切りながら涙が流れた。

何枚か撮った後、おばあちゃんの近くに行き、

「おばあちゃん、ありがとうね。今やっと自分がやりたかった仕事してるよ。

ここまでこれたのは、おばあちゃんがずっと俺のこと信じてくれてたからだよ。

本当にありがとうね。本当に感謝しているよ。」

と伝えた。

おばあちゃんは、口を開いたまま静かに息をしていた・・・

その後、挨拶もそこそこにその場を立ち去った。

おじさん、おばさんが

「来てくれてありがとね」

と言ってくれた言葉が胸にしみた。

おばあちゃんに伝わったかどうかはわからないが、

僕は伝わったんじゃないかと思っている。

おばあちゃんがいた部屋に飾ってあったカレンダーに

「散る花があって 咲く花がある」

という言葉があった。

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僕は咲く花にならなければならない。

「大事な孫だかんな、だから立派な人さなるんだぞ」

あの言葉が耳から離れない。

帰りの車からの景色は何故か胸に迫るほど綺麗だった。

僕に何かを伝えたいんじゃないかと思うぐらい・・・

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おばあちゃんは、この後、1月24日早朝静かに息を引き取った・・・

かなりの長文になったが、今の自分の気持ちを忘れないうちに文章にしておきたかった。お付き合いいただいた方、ありがとうございました。

(2016年に書いたものをリライトして転載しました)

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