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自分の中に”ある言語”を持つことの楽しさ。

ピアノが頭を良くしたという話を書きました。

あまりにも音楽的素養がない私がピアノを趣味的に始めてみたら、音の高い低いすらわからなかった私の脳内に新たな感覚が生まれたという話でした。

実はこういう経験は他にも沢山あるなと感じたのでそのあたりを整理してみたいと思います。


レゴブロックでの体験

小さなころから大好きだったレゴブロック。幼少期の時には祖父から山ほど買ってもらって何回か作った後は、大きな衣装ケースにバラバラにして入れ、そこからは自分で好きな宇宙船や車、庭などを作成していました。

頭の中にあるイメージをなんとなく形にすることがうまくできたり、ある形を実現するためにはどうすればよいかというのが、言葉にできない言葉として自分の中にありました。

特に作りたいものがなくても触っているうちに、勝手に手順が浮かびそこから段々と新たな作品が完成していったのです。

恐らくこれまで作成した経験と設計図でのパターン把握などが自分の中で蓄積をしていき、頭の中で自動化されていったんだと思います。そしてこの立体構築の頭は形を変えて、30年後に子どもと粘土遊びするときに生きています。絵のセンスはこれまた酷いのですが、粘土は意外といけて自分でも驚いています。

立体の受け止め方という筋力が脳の中にできたのだと思います。

美術の見方

絵画も苦手意識が強かったです。なにせ芸術系3科目は本当にひどいもので、書道などは作品展に出せば(お金を払えば)単位が取れるから選んだくらいです(悲)

当然絵画の見方なども分からず、きれいな絵はきれいだなというくらいで、現代美術に関してはなんじゃこりゃ状態でした。でもこの書籍を見てから”面白いじゃん””もっと知りたい、見たい”と変わっていきました。

こんな先生がいれば、美術への見方が変わっていたなと思います。私の中にこのチャンネルが出来てから、頭の中にいろいろと思考が浮かぶようになりました。

これも芸術を見るための言語が頭に生まれたのだと思います。

そろばんでの頭の使い方

そろばんについては子どもに習わせたいなと、なんとなく思っていました。が、なかなか一歩踏み出そうとならなかったのですが、その時に出会ったnoteがこちらでした。

こちらのえみさんが引用していた言葉が

想像力、発想力は身につけるのが非常に難しい、ある種の「才能」とも呼ばれるものですが、そろばんによりこの力が活性化されることが全国珠算教育連盟学術顧問の河野貴美子博士の「珠算式暗算による脳波変化の実験」により、明らかになっています。

https://note.com/emi_tatsu0428/n/n082c5713ae36

言われてみればその通りで、このようなイメージが出来ることで計算が言語に変わることがわかりました。珠の動きで会話がなされている。これがそろばんなのだなと思いました。

身体の使い方

運動は比較的どの分野でも得意でした。集中力、努力が足りず一流に離れませんでしたが、どれもそれなりには出来るという器用貧乏でした。人の少ない部活に試合で助っ人に入れたくらいなので、一応まぁまぁだとは思っています。

いきなりでも大体できたのですが、少しゲームを繰り返すうちに細かい点の調整が効いてきてそれなりになるんです。相手の細かい動き、指先やステップ、相手の動きを見ての反応、リズムなどが自分の中に入ってきて分析、模倣、対策につながります。

これはきっと体の動かし方という言葉が経験から頭の中に構築されているんだと思います。

感覚スイッチが入る快感!

4種の話を伝えてきましたが、共通点は「言葉」「眼鏡」のようなインプットを構成する感覚スイッチが入ることだと思います。そしてこの感覚スイッチが初めて入るときには、同じ景色を見ているはずなのに、全く違う光景が拡がっています。

そしてこの感覚スイッチが入ると、成長がずっと早くなり、その世界のものを見ることも様々なイメージがわいてくるので楽しくなります。楽しくなるということはその頻度が多くなる。さらに成長する。このように成功のスパイラルに入っていけるのが感覚スイッチが入るということなのかなと思います。

新たなことを始めるときには、感覚スイッチが入るまでに短期的に集中することだと思います。そしていくつもの分野で感覚スイッチが入ると、他分野でも感覚スイッチが入れやすくなるのだと思います。言語を3,4,5つと習得を増やしていくと新たな言語を覚えるのも楽になると言いますがこれも勘所という感覚スイッチが入っているのでしょう!

今年は何件の感覚スイッチを入れるのか?しっかりと自分で認識できるようにしていきたいと思います。

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