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「不親切な親切」に学ぶ本質。世の中親切風の不親切に溢れてる?

「日本一、不親切な親切で。」
ゆうに10年以上前にこの言葉に出会いました。この言葉は在宅介護における当時の課題を言い当て、本質的なソリューションを社員に浸透させるために使われていました。

この言葉と出会ってから「サービス業の本質」というものに目が向くようになり、「親切(風)」「よかれと思って」という言葉の裏に見える自己都合や浅さが透けて見えるようになりました。

身体機能も認知機能も衰えていく原因には、一見「親切」という自己都合がたくさんあるのかなと思います。


不親切な親切という言葉との出会い

冒頭にあげた「日本一、不親切な親切で。」という言葉は岡山県で福祉事業を展開されている株式会社創心會さんが掲げている言葉です。

HP上にも「本物ケアとは」というページがあり、そこにはこのように掲げられています。

日常の生活を広げるケア = 本物ケア
私たちの提唱する「本物ケア」とは、「何でもしてさしあげる介護はしない」という考え方が基本です。お世話を「してさしあげる」ではなく、「これをしていただけませんか」と促すのが基本です。

株式会社創心會HPより

当時、この言葉を聞いた時に介護業界が「サービス業としての接遇」が叫ばれはじめ、リッツカールトンをはじめて、一流どころの接遇を参考にした逸話が拡がり、どんどんそれが顕著に進んでいる時期でしたので、ハッとさせられました。

2000年に介護保険制度が始まり、「措置から契約へ」変わっていきました。措置というのは行政のほうでここに行きなさいというもので営業行為は行われていませんでした。しかし2000年以降は営業行為をして自分でお客さんを獲得しなければならなくなりました。そうはいっても施行当初は昔の習慣が残っていて「営業なんて!」という声もありましたし、「稼働率」なんて言葉を使えば怒られる時代でした。ところが徐々にサービスが普及すると同時に競争も始まり、選ばれるためにサービス業化しなければという雰囲気になっていきます。特に2005年~2010年くらいには異業種からの参入やFCなども増えていたのでその動きを加速させたのだと思います。

そして当時はリッツカールトンのクレドが大流行し、サービスや接遇と言えばリッツカールトンとなり、相手の望むことを提供しようということになりました。

このような親切を求められる時代背景でしたので、とてもインパクトのある言葉でした。

盲目的な「お年寄りのために」

では実際に介護施設の中でどのようなことが行われていたのかというと、それはもう至れり尽くせりが進んでいました。しかしその「お年寄りのために」の裏に考えなければならない事実がたくさん存在したのです。

私の関わっていた介護施設の方々と話をする中で出てきたものをいくつか紹介します。ちなみにどれも良かれと思って行い、実際に高齢者の方には喜んでいただいているので批判的な声ではなく事実としてみていただきたいです。

  • 立とうとする、靴を履こうとすると介護職員から「危ないっ!」と大きな声を出されて、家で出来ていたことも出来なくなってしまった

  • 自分の食事くらいは運ぼうとすると、座っていてくださいと言われ上げ膳据え膳

  • 家では段差も多くある中で生活をする中で身体を動かしていたが、バリアフリーになることで身体を動かさなくてよくなった

どれも本当によくあることです。すべて善意から来ていることは間違いありませんが、在宅生活を続けるためにデイサービスに行ったのに、身体的にも心理的にも自分のことを自分で出来なくなってしまったという方が生まれてしまったのです。

相手の喜ぶことを盲目的に受け入れてしまったり、過剰にやることで相手の機能を無意識に奪っていることになっています。

このような現状を知ったうえで改めて株式会社創心會さんの言葉を引用してみます。

日常の生活を広げるケア = 本物ケア
私たちの提唱する「本物ケア」とは、「何でもしてさしあげる介護はしない」という考え方が基本です。お世話を「してさしあげる」ではなく、「これをしていただけませんか」と促すのが基本です。

株式会社創心會HPより

この言葉の深さが見えてくるかと思います。

フレイル予防は”わざわざ”ではなく”日常”

フレイルという言葉に聞きなじみがない方も多いかと思いますが、病気ではないけれど年齢とともに筋力や心身の活力が低下し、健康と要介護の間の虚弱という状態を表す言葉です。

自治体などにおいても「フレイル予防活動・運動」などが盛んにおこなわれています。高齢に携わる民間、公共ともに実は一般用語になっています。

これらフレイル予防は上記に書いたように「筋力や心身の活力が低下」がもとになっています。

アクティブシニア「食と栄養」研究会より引用

フレイルは悪循環を続けます。筋力や筋肉量の減少は動かなくなると顕著になります。そのために運動などをしますが、特別なことはやはり継続しづらいです。これまでの犬の散歩をしたり、家の中をウロウロしたり、ゴミを捨てに行ったりという活動がいちいち筋力や認知機能を刺激して活力ある生活にしてくれます。

トイレに行く、お茶を入れる、インターホン対応をするなどでも立つ座るということになるので簡単なスクワットとなり足腰の筋肉を鍛えてくれます。

家の外に目を向けると、電車の中で無理のない範囲で立つことで不安定の中で体幹が鍛えられますし、そもそも立っていることで筋肉も持久力も鍛えられます。エレベーターやエスカレーターを使わなければ最高のトレーニングです。とにかく重要なのは日常なんです。

自己満足な親切で相手の能力を奪わないようにする

ところが電車でも高齢者が立っていれば席を譲りましょうと言います。これ本当に良いことなんでしょうか?高齢者にしてみれば楽できたから良し、譲った側からすれば良いことした気になれるから良しという気もしますが、本質的には相手の残存能力を弱めている行為とも言えます。

高齢者のために何でもかんでもやってあげるという行為は、せっかく外出によって生まれたフレイル予防の道を閉ざしてしまいます。これは筋力だけではなく、機会を奪うことで認知機能への刺激もなくなります。

冒頭で親切(風)と意地悪くお伝えしましたが、こういうことなんです。極端な話ですが、その行為が自己満足や悪く見られないためにやっていない?ということです。

これからは人的供給制約時代が加速します。団塊世代が後期高齢者となりフレイルがどんどん顕著になります。そこを身体的にも金銭的にも支える現役世代は大きく減少します。サポートしきることなんて不可能です。だからこそ安易に手を差し伸べるのではなくちょっと厳しくも自分で出来ることはやってもらう、やれないことはやれる工夫をするなんてことが求められる時代になってきています。

子育てでは同じことを言われますよね。何でもやってあげちゃだめだよとか、過保護だとか。これは高齢者にも当てはまるのではないかと思います。

不親切な親切で。
本当に素晴らしい言葉だと思います。介護施設の中でも段々とこの発想に切り替えられるところも増えてきています。そのような仕事についていない我々も木下さんの言う儒教の呪いを振り切って(笑)、不親切な親切で超高齢化社会を支えていきましょう!

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