わたしの片づけ奮闘記 vol.1
片づけにハマりだしたのは、去年の秋ごろ。
前々からこんまりさんのNetflixシリーズや本を見ていたし、
雑誌でも片付け特集があればすかさず買っていた。
だけれども、なんだか雑然とした自分の居住空間。
そして、自分自身もパッとしない印象が続いていたのだ。
自分のことは嫌いではないものの、今日も決まってるねーとは声をかけずらい感じ。
このなんとも言えないループから脱出したかったのだ。
そこから、
こんまりメソッドとやましたひでこさんが提唱する断捨離について、
動画や本を読み漁った。
どちらも片づけることで人生が変わると伝えている。
わたしの良いところは素直なところだ。
読んだらその気になって、試してみたくなる。
こんまりさん×やましたひでこさん、でわたしはやってみようか。
そして、わたしの中でスイッチが入ったのだ。
ここからわたしの人生を変える挑戦がはじまった。
まずは、洋服。
わたしは自分で自分をお洒落好きだと思っていたこともあるし、
お洒落には量が必要だと思っていたようだ。
しかし、結構な量の洋服があるにもかかわらず、
“しっくりくる”服がまるでなかったのだ。
出かける朝に、着てはこれはなんか違うと脱ぎ捨てては着て、を何度繰り返してきたか。
そして、しっくりこないから、また新たな服を買いに走る。
そら月に洋服代にかけるお金が多いわけだ。
わたしは家中にある服を全部出し、一カ所に集めた。
幸い、実家にはわたしの服は無かったので、一度に一気に取り行えた。
中でも仕分けるのが難しかったのは、母からのお古たち。
母から譲り受けた、「高かった」らしいブラウスやスカート、トレンチコート。
合わせて10着はあっただろうか。
これは厄介だ。
わたしの母は抜き打ちをしてくる。
「あのトレンチコート、どうしてる?」といったように聞いてくるのだ。
どういう真意があるのかはわからないが、わたしはいつもどぎまぎと「ちゃんとあるよ」と答えていた。
ブラウスやスカートもしかり…。
しかし、お気に入りのものはすでにヘビーローテーションしているのだ。
「ちゃんとあるよ」ではなく、「こないだも着たの!」と言えるものも、もちろんあるのだ。
ときめくものだけを残し、ついに、母からのお古を手放した。
『わたしのために残してくれていてありがとう。だけど、今のわたしにはときめきを運んでくれないものとはお別れのときが来たから、きっぱりと別れました。』母に次に確認されたら、そう答えよう。
その後、勢いづいたわたしは、ときめく服とそうでない服を無双状態で仕分けていった。
どうやら、わたしは視覚的に色味が超絶好みだから、無理をして着ることが多いようだ。
だけれども、実際来てみると、色味がわたしに合っていなかったり、ちょうどよいサイズ感でなかったり、シルエットが微妙だったり…。
結局、そういう服たちの出番は少ないものだ。
手に取るだけで、『これは〇〇だからなぁ…』と体がズンと重くなるのだ。
これらも、ついに! 手放したのだ。
どんどん仕分けをしていき、最後には自分が管理できる量で、かつ好きだ!と思える服のみが残った。
案外、わたしには多くの服の管理は向いていないようだ。
服の整理だけでも、かなりの充足感。そして、爽快感。
自宅のウォークインクローゼットに少し余裕を残して、しまうことができた。
記念すべき洋服片づけ日となった。
今後もときどき、洋服たちにときめくかを確認しよう。
なんでもアップデートは重要だ。
わたし、よくやったよ。
だけども、まだまだこれからだ。
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