見出し画像

本を返さなければいけない話

今日やらなくてはいけないのが、図書館から借りた本を返すことだ。今日も仕事があるから、帰ってきてすぐに行く必要があり、少しだけ緊張している。

借りたのは3冊。哲学史の本と、中世哲学の論文集と、経済学史の本だ。哲学史はずっと気になっている主題だが、古代ギリシャに関しては知っていくと楽しいのだが、現代思想とかになってくると、知るとどんどん暗くなる。哲学は本当に終わったのかもしれない。また、中世哲学の論文集は本格的過ぎて、消化不良を起こしている。ただ、ああいうものを書く人のすごさは妙に伝わって、読んだのは無意味ではなかった。経済学史の本については、経済学は科学という体裁を取っているけれども、その実、学者の個人的背景などを反映した理論になっているというメッセージは読み取れたのでよかった。

娯楽という面では大成功だが、この読書を血肉にできたかと問われれば、少し疑問だ。精読したわけでもないし、一語一句覚えているわけでもない。ちゃんとそのように読んだ本は最近あるだろうか。なかなか難しい。上の3冊を返すと、私の読みかけの本は、『雇用、利子および貨幣の一般理論』と『定義集』と『法の精神』と、歴史のエッセイ集になる。これで『テスカトリポカ』と『片づけ学』も買おうというのだから、贅沢だ。

しかし、最近思うのは、本の中には手に取った時点で終っている本や、ただ眺めるだけの本というのもあるということだ。歴史のエッセイ集は職場で読むために買ったけれども、正直あまりわからない。でも眺めることはできるのだから、無意味ではない。織田信長や豊臣秀吉や徳川家康が出てくる話はなんとなくわかるし、それ以外でも、雰囲気はわかる。『法の精神』や『一般理論』については内容は難し過ぎて入ってはこないが人の営為として崇めることはできる。『定義集』はそういう読み物でさえない。

ともかく期限は守って返しに行こう。多彩な本に触れられるのも図書館のいいところだ。

まとめ

  • 図書館に返さなくてはいけない本がある。

  • 家には積読が結構ある。

  • しかし触れただけでも完結している本も存在する。

解:精読だけが本当の付き合いではなく、取捨選択も本との関わりの一種である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?