オリックスが4連覇を目指す
「お雑煮の出汁はもちろんカシミール」
さて、明日開幕するプロ野球。僕は56年前からの阪急~オリックス・ファンなので、今年の順位予想も1位はオリックスとなります。
生まれ育ちが熊本の僕が、何故パ・リーグの、それも阪急/オリックスファンなのか? 子供の頃、周りはほとんど巨人ファン。まして6年間過ごした地元の小学校は吉原捕手の出身校で(誰、それ?)、祖父からは「巨人入団を誘われた吉原は、同僚の川上も一緒に入れてくれるなら入ってもいい、と言ったので、今の川上監督がいるのだ」と教わって育ったのに、阪急ファンです。
その理由は単純、小学校3年くらいの夏休みに、大阪/蛍池の親戚宅で二週間ほど過ごした時、服部緑地や箕面に猿を見に行ったついでに、西宮球場で生まれて初めてプロ野球を見てしまったことに起因します。
初めてのプロ野球、ナイター照明、カーンという音と笛太鼓の応援、少ないながら観客の声援と、やたらと聞こえるだみ声のヤジや罵倒。内野席にファウルが飛ぶたび「大杉の人殺し~!」「張本の人殺し~」という阪急の応援団の声とそれに続く観客の笑い声に、大人だ、と感動してしまったのですね。試合は打ち合いで阪急がスペンサーとか森本が打って勝ち試合(と記憶してます)。
その休みの終盤、蛍池のおばちゃんから、熊本に帰る前に最後にどこ行きたい?と聞かれ、また阪急ブレーブスを見に行きたい、と言って、今度は森ノ宮の日生球場に連れて行ったもらいました。今思えば、結構無理言ってますね。
そこでも強かった阪急が米田の力投、長池のホームランなどで勝利。もう、自分の中では阪急の選手たちがダントツのヒーローになっていました。
その後、熊本に帰ると世の中らから「阪急」は消えてました。ブレーブスもデパートも茶色の電車も熊本には存在しなかったのです。毎日届く熊日新聞には、スポーツ欄に2行くらいの勝敗だけの記事と、小さくパ・リーグ順位表が載ってました。学校でそのパ・リーグの話題をする相手は皆無でした。当時は「ぱぁ・りーぐ」と言われ、そんなの見るとバカになると思われていた気がします。確かに1年頑張ってパ・リーグを制しても最後は川上巨人に木っ端みじんにやられるのですから、何もかもが最後はパァになってました。
しかし、あの夏休みの思い出として、初めての一人旅、熊本の空港までは母親が、伊丹の空港では蛍池のおばちゃんが迎えに来てくれて、フレンドシップ(YS11だったかも)の機内では、スチュワーデスのお姉さんが隣に座ってくれたりして(「ジュニア・パイロット」)眼下に瀬戸内海を見て過ごすなど夢のような時間でした。服部緑地は、熊本阿蘇の草千里より青々しく、西宮球場は熊本下通より爛々と輝いていました。
帰熊後、割と読書家だった僕は、西宮球場でおばちゃんがぽつりと言った「東映も昔は東急で、こっちのリーグは電車ばっかりやったんやで。西鉄も南海も強おて、最近は阪急も強いんや。あかんのは、近鉄だけやな」が忘れらず、中学校卒業までに大和球士さんの本を読み漁りました。
そして、何故パ・リーグには私鉄球団が多いのか?を知り、ますます持って阪急やパ・リーグのファンになっていったのです。
戦後史。国民に娯楽を提供する意味と、人気の大学野球、高校野球の球児たちの受け皿として職業野球=プロ野球は盛り上がります。戦後間もない頃は、8球団だったプロ野球に新球団受け入れることになった時紛争が起きました。
下山事件、三鷹事件、松川事件と続く国鉄の労使間対立から起きた事件に対して、労使間共に友好的な関係を築くためにプロ野球球団を国鉄が持つのはどうだろう?というアイデアが出て、公職からは追放されていたもの正力松太郎氏の尽力もあり「国鉄スワローズ」が誕生します。当時は新幹線もなく、最速の電車は「ツバメ号」でしたから「スワローズ」の誕生です。
民間企業が仕切るのがプロ野球の時代なのに、国の参入は許せん!と怒り心頭の阪急、東急、阪神、南海、新球団近鉄、新球団西鉄は、国鉄がいないリーグを組成=太平洋野球連盟。その太平洋連盟に当時は読売・朝日と並ぶ勢いのあった毎日新聞が加わります。
ところがリーグ結成寸前で「阪神対巨人戦というドル箱カードが無くなりますよ」という甘言に誘われて、阪神だけは、私鉄の「団結」より世の中「金」ですとパ・リーグを離れて、読売新聞、中日新聞、当時の花形業だった映画会社から松竹などと共にセントラル野球連盟を組成し参加しました。
そんなことを小学校高学年から中学で知ってしまうと、いつの間にか「義は我にあり」と石田三成の気分となって、いつの間にやら、巨人軍=徳川家康となっていたのです。当然ながら、阪神=小早川秀秋となっていきます。
とにかく何度戦っても、家康に負ける三成ブレーブス(正しくは西本監督時代のブレーブス)でした。そして、1976年、長嶋巨人初優勝(前年が最下位)の時の日本シリーズも、1~3戦で3連勝した後連敗、3勝2敗と王手が続いたまま迎えた後楽園での第6戦は5回表で7対0となりマウンドに山口高志が力投中でついに優勝か!と思ったら、その後反撃を喰らい、山田久志をリリーフに出しても打たれて、終わってみたら8対7で巨人の勝ち。3勝3敗で敵地後楽園での第7戦となりました。もう阪急には足立というベテランしか残っていません。一方巨人は、最終戦に当時のエースともいえるライト、堀内、そして小林(前阪神)が残っていました。
テレビで見ていましたが(当時、日本シリーズはデーゲーム)、後楽園5万の大観衆のほとんどが巨人ファン。阪急ファンは休日出勤で動員された阪急大井町店の非番の社員しかいません。その中で足立は「騒げ、騒げ、もっと騒げ」と言い聞かせて、9回を完投し、阪急として初めて打倒巨人を成し遂げます。
その後、阪急&オリックスは日本シリーズで巨人と2度対戦。8勝2敗で圧倒しています。歴史は変わったのですね。
そんな経緯で、いまだにオリックスへの愛着は変わりません。
イチロー、田口、最近では吉田や山本などMLBへ移籍した選手たちのことはすっかり忘れて、今チームに残る選手たちとチームだけを応援しています。
今後もオリックス戦の戦評など適当に書く時があると思います。今日はとにかく開幕前にオリックス優勝を予想していたという痕跡は残しておこうと思います。ここのところ3年連続で的中させていますからね(その前は24年連続で外してました)。