見出し画像

腫瘍が破裂、そしてICU

何から書き始めたらいいのか。
でも記録しておきたい。

先週火曜日。
母が月曜からお腹が痛い、痛いと言い始め、
もともと病院の予定だったこともあり、そこで相談しようと病院へ。入院のオリエンテーションとゲノム検査のための採血の予定でした。

ところが。
緊急入院。どうやら腹痛の原因が、腫瘍からの出血だ、と。大きくなりすぎた腫瘍の血管が破裂。体内で垂れ流し出血状態。さらにそのショックで血液のバランスが崩れてヘモグロビン、血小板、凝固因子が激減。そのため、出血したまま、止める作用がはたらかず垂れ流し状態。

私は仕事場にいたので、父から
入院になったことの連絡を受け、仕事が終わったらとりあえず病院へ、と思っていました。

しかし、時間の経過とともに状況は悪化。
ICUに移動になる、とのことで仕事が終わる前に早退させてもらいました。

事情を話し出て行こうとした瞬間、
現場の方々が抱きしめてくれて、、、。
思わず不安が涙という形になってどっと溢れてしまいました。

そのあとももう、怒涛、、、。
次の日にCTをとったところ、
出血箇所が明確に写り、カテーテル手術に。
もともと神経内分泌腫瘍の治療のひとつにカテーテルはありました。直接的に腫瘍に効くから、できるならやってほしいと思っていたこのカテーテル。でも、母の腫瘍は多すぎだからできなかった。まさかこんな形でやってもらうとは。目的違うけど。

そして、カテーテルの最中、
待合室で待っていたら病院の方々が次から次へと。緩和ケアの話はまだいい方で、このあと、術後の経過によっては危ない、と。正直助かる確率は半分切る、と。先生方がぞろぞろやってきて、ICUの先生、主治医と同じ外科の先生(主治医は学会で不在)、看護師さん、メンタルケアの方、総勢7人くらいに囲まれて、父と私はそんな話を聞きました。しかもこの後乗り切っても肝臓持つかわからない、と。悪い話を全て集めたような、そんな時間でした。

さらには、もしもの時は人工呼吸など延命をするか今決めろ、と。

もう、私は思考停止。
正直わからない、私はザノサーをやるつもりでつい数日までそこに希望持ってたのに。何、この状況。ドラマ??なんかわたし違う世界線きた??

隣の父も目がぼんやりしていて、
もはや、親子で使い物にならない感じ。
なんとか、その時が来たら楽にしてあげてください、と声を振り絞って対応。数日前だけど、もはや記憶が薄れてる、この時間。嫌な記憶は早めに消えてくよね。

カテーテルから戻ってきた母は顔面蒼白。
もう、突然おばあちゃんになってしまったようだった。つらかった、つらかった、と何度も言葉を漏らすもんだから、もう私も崩壊寸前でした。

そこからは、祈るしかできず。
色々な数値の回復と、出血が本当にカテーテルで止まったのかの状況確認などなど。2日ほど病院にずっと居て母の手を握っていました。ICUにも関わらず、ずっと家族が病室にいることを許してくれた病院には感謝でした。

皮肉な話ですが、弟も集合して、
10年ぶりくらいの家族団欒の時間。最期を感じ取った母がぽつりぽつりとお金のことや、葬式にどうしてほしいか、お墓はどうするか、など話してくれました。私たちは、そんな話しなくていいから、と言いつつ内心聞かなきゃ、と思っていたことを話してくれて安心したのは正直なところ。

そんな、もうお別れなの??という時間を何日か過ごしました。

そして、いま現在。

半分を切る確率から無事に回復傾向に向かっています。だからこんな文章書ける。

血液の数値も元に戻り、肝臓の数値も少し回復。
あとはリハビリして歩けるようになること。それが第一目標。次のザノサーはまた次の話だ、と。
昨日主治医からは、そんな話を受けました。

そうなると、腫瘍に対しては無治療期間が続くことになります。それでなくても切羽詰まっていたのに。とはいえ、まずは母の体力回復。

おまけに血腫が足の方にあったり、
もうなにが爆弾になるかわからない状況。
わたしは母の心配はもちろん、父と心配で。
もうずーーっと泣きっぱなし。お父さんも一緒に死にたいよと言い出す始末。昨日もぼんやりしてた。

配偶者の死は人生最大のストレスと聞きます。
父のメンタルケアをしつつ、私も体調を崩すわけにはいかないから、なんとか踏ん張るしかない。

なんとかザノサーまで辿り着きたい。
1週間で歩ける、
もう1週間で体力回復、
今年中になんとかザノサーいけないか。

いいなと思ったら応援しよう!