阿闍梨餅
初めて食べたのはいくつの時だっただろうか。
父が廃業して、関西に住んでいる親戚との付き合いも全くなくなり、都内に住む私たち家族だけがポツンと離れて暮らしてる、そんな状況だった。
伊勢丹新宿本店によく立ち寄る姉が、嬉々と買ってきたのが、阿闍梨餅であった。
母は「あら懐かしい」と言って、嬉しそうにお茶を淹れ、
そのコロコロと鈴がなりそうな空気の軽さにわたしも浮かれてダイニングテーブルにお呼ばれしたのが懐かしい。
ちょっとした受け皿に置かれた和菓子。
せっかくだからとお茶を淹れる母。
そして、初めて食べた時の美味しさと言ったら!
食感といい、甘さ加減といい、その品の良さといい、
わたしにとっては今も幸せのイメージに繋がる。
そんな京都の阿闍梨餅だが、昨日、旦那が買って帰ってきた。
しかも娘の習い事の帰宅の時間に合わせて、駅で待っていた。
嗚呼この人は、『ごめんなさい』が言えない人なんだ、と再認識した。
(二日前のブログ参照)
言えない人だ、で終わって良いものなのかは疑問だが、彼はそうやって50年生きてきてしまったのだ。
ごめんなさい、の言葉がないから、歩み寄るつもりもないけれど、
わたしの中で怒りの火が弱くなったのを感じた。
彼とはこの先、添い遂げることはないだろう。
老後のことについても、考える気すらもうない。
でも彼ができる精一杯を今は受け止めても良いのかなと思う。
だって、わたしだって憎しみだけで生きていたくないもの。
幸せになりたい。幸せでありたい。
何年か我慢する必要があるのであれば、
距離の置いた夫婦でも良いのではないか。
外は晴れているのに、雨が降っている。
こういうの、なんていうんだっけ、とぼんやり思う。
狐の嫁入り。
化かしあい、か。