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運動会と私自身の変化と

無事に子どもたちの運動会が終わりました。
終わったー!!
昔のようにお弁当と席取りという大仕事がなくなったとはいえど、翌日は疲れが・・。
未就学児がいることを理由に、小学校の運動会での片付けを免除されたものの、
なんだこの疲労感は。
子どもの出番にドキドキし、応援団の我が息子の格好良さにときめき、リレーの前に仲良しママと「やばい緊張する」とここでもドキドキし、演技には成長を感じて涙し、
濃厚な時間だった。
リレーで欠席者の分走った息子だが、帰り道も元気が有り余っている。
終わった後上の子は友達の家に遊びに行って、
私はもう家で動けなくてダイニングテーブルでうとうと。
ちゃんとベッドで寝ればいいのに、
なんとなく娘を一人にしては行けない気がしてそこで眠ってしまったら疲労感が半端ない。
運動会終了後も旦那は仕事で、息子の出番が終わると飛び出していった。
それでも飛び出す前に息子を捕まえてめちゃくちゃ褒め倒していったらしい。
昔だったらキレていっただろうし、そもそもイベントごとよりも仕事をとる人だから来てくれてなかったかもしれない。
疲れたといって、息子の演技中寝ている人なのだ。
それを今回は撮り漏らすまいと動いて息子の出番を録画してくれた。
感謝せずにいられない。
夕方には外で食べようと誘いのLINEが入ってくるし、
正直眠くてヘトヘトだったのだけれど、娘としたくして出掛けた。
私の箸は進まない。
胸がいっぱいで、と言うのがやっとだったけれど、
その分息子はよく食べていたし、
旦那の機嫌も良かったからいいのかな。
旦那が拗ねることなく、怒ることなく、怒鳴ることなく食事も終わったのも嬉しかった。
仲良く帰り、またパソコンを立ち上げて仕事している旦那を視界に入れつつ、
眠くてわがまま言い始める娘をお風呂に促し、
自分も眠気と闘いながら片付け。
私が寝かしつけをすると言っているのに娘がパパがいい!と言い張ったのでその間に私がお風呂に入ったら、完全に緩んでしまい、
洗濯を干す前に眠くて仕方がない。
寝かしつけを終えた旦那が「干しておくからもう寝なさい」と言ってくれて、
旦那の神さに感動しながらベッドに横になったらもうそこで記憶がない。

なんてまあ穏やかな夜だろう。
ハネムーン期だよ、と言われたらそれまでかもしれないが、
それでも旦那もわたしも成長している気がする。
そう、旦那が変わったと思う以上に、
私も変わったと思うのだ。
子どもたちのツンツルテンになったズボンのようには分かりづらいが、
受け止める器が大きくなったんじゃないかと思う。

思考現実。
したいように叶える。
引き寄せ。
信じたものがちだと思う。

私の人生だもの。

今日の午後の娘との掃除の時間は、
迷っているものを捨てることを目標にしよう。
娘とは、秋冬の服の整頓を約束している。
頂き物の服ももう一度見直そうか。
汚くなった服、小さくなった服も相談して捨てよう。
息子は相談しても取っといて、と言われるだろうから、
帰ってくる前に捨てておくか・・。
体育着も小さくなったな!と今朝サイズを確認したら
まだ余裕のあるサイズなはず。
え、さらに大きくなった?と思わず息子を見てしまった。
まだ私より小さいけれど、抜かれるのも時間の問題。
大きめをもう用意しておくほうがいいのだろうか。

急に寒くなってきたし、天気のいい今日。
断捨離は嫌いじゃない。むしろ好きだ。
好きな音楽かけて、好きなペースでしよう。

そう、面倒だと思っていることが、本当にめんどうなのか?と思うことが増えた。
どうせやるなら気持ちよく、の方が自分のためにもいいのでは、
とひしひしと感じるというか。
先日、自分と子どもたちの洋服箪笥の上を綺麗にした。
そしたら、隣の旦那の洋服箪笥の上の山積みになっていたものが突然消えた。
何も言っていないのだけれど、自分のところだけ汚いのが気になったのだろうか。
気にしないことにしたのが良かったのだろうか。
拭いといてあげようか。
そんな優しささえ生まれる。
ほんのちょっと前まで、触るのも嫌だったのに。


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