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『許せない、ズルい』と向き合う

※読んで不快に感じる方がいらっしゃるかもしれません。吐き出してます。

以前夏頃だったか、PTAに人のせいにするわ嘘はつくわな人がいて、なんてブログを書いたのだが、

その後気持ちの整理をするために、手帳に書いたり、書いたり書いたりしたのだが。

悩んでる時間が勿体無い、わかってくれてる人はいる、言えばわたしが痛い目にあうだけ、と思っているものの

まだまだ浄化できず、

実行委員会があるたびに

いやだなー
行きたくないなー

今日こそは大人しくしてよう

なんて毎回思っていたのだけれど、

そもそも、なんでこんなに許せないのか?

そう、この感情は
『許せない、ズルい』である。

で、なぜ許せないのか。
実はこれが明確なのである。

わたしが散々
『でもって言うな!』
『人のせいにするな!』
『ほかの人の話をしてるんじゃない,お前の話をしてるんだ!』

むかし職場で言われてきたからだ。

怒鳴ってきた上司が実は原因だった、ということもあったが、
私自身が起こしたミスももちろんある。

怒られるのがいやで言い訳ばかりを考えて、問題を複雑にしてしまったこともある。

怒られるのが悪い、と言われたこともある。

なんでこの件でわたしが怒られてるんだ?と思うこともあった。
ストーカーに会社まで嫌がらせされた時には、「ストーカーされるお前が悪い」と言われた。

思い返すとどんどん出てくるから、今とっても気が重くなっている。
自分によしよし。

書き出して、ざーっと消している間に、

なんだ、やっぱりわたしが引き寄せているところがあるんだなと感じる。

だからモラハラ旦那を選んだのか。
モラ夫と、その上司、似ているところがあるなと思ったこともあったのだ。

結婚する時は、だからこそ、【守ってもらいたい】気持ちで結婚した気がする。

話を戻すと、わたしは散々怒鳴られて、散々謝ってきたのに、
あの人は人のせいにして嘘をついて逃げている。
だから許せないのだ。
彼女のアイデアはおもしろいと思うし、良い企画を持ってくる。
でも嘘ばかりで、信用ができない。
わたしがそう思っても、周りは波立てるな、という空気である。
一度やんわりのつもりで改善策を出してみたら、それも嘘で返されてしまった。
次の関わる人が大変だろうなと思うけれど、
その改善策の一件以来、とある人からは冷たい目で見られるようになってしまったし、
これ以上荒立てたくもない。

なので関わりたくなくて、私が傷つきたくなくて、目も合わせないようにしてしまう。

ああ、そうか。

わたしは悪くない、と言われたいのだ。

わかるよ,大変だったね、と言われたいのだ。

わたしが自分に声かけよう。
『わたしは,悪くない』
『大変だったね』

それに、今わたしは仕事でなにかあっても、自分から謝りに行く。
自分が何が悪かったのかを明確にして。
そして次はないように努める。
だから、信用されていると自負できる。

若い頃は、転んでもただじゃ起きないオンナ、なんて軽口叩いていたけれど、

転んだら痛いのよ。
だから転びそうになったら『助けて!』って言えるようになったし、
今の過程がわたしを強くしていることをもう知っている。

それでも転んじゃったときには、助けてくれる周りの人がいる。

職場にも人のせいにして謝れない人がいるのだけれど、なぜ彼女のことは受け止められるのに、PTAの彼女のことは否定してしまうのだろう?
わたしが直接被害を被ったからか?
被れば否定してしまうか。
振り回されたもんな。

信頼関係もあるかもしれない。
職場の子には、「それまずいって」って言える。「そーかそーか、そうだったんだね」と受け止めれる。
かたや、助けようと思ってもピシャッと閉じられる感がある。「あんたの出番はない」と言わんばかりに。闘おうとさせていた?わたしが戦闘体制に入っていた?

人は鏡。
そうさせたのはわたし?
いやいやいや、そこまで背負う必要はない。
だって、スタートから嘘だらけ人のせいにしたLINEだったじゃないか。

ぐちゃぐちゃになった糸を解いている気分だ。

気持ちが軽くなった。

最後まで読んでくださった方、お付き合いくださって、ありがとうございます。

感謝。

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