生きていることは業だし、福音だよ

最近Instagramを始めました。今まで情報収集用に見るだけのアカウントは持っていたのですが、情報収集はXくん(笑)に全部まとめて、Instagramは現実の知り合いと繋がるためのアカウントとして刷新しました。

なんだって今更そんなことを、と自分が1番思っていて、何しろ現実の知り合いと繋がるSNS、上手くいった試しがないのです。承認欲求モンスターの制御のタガが外れ暴走する→自分の愚かさを恥じ、アカウントを消して逃亡するを2回やっております。3度目の正直とは言いますが、うーん、続くかなあ。

現段階で若干もう辟易してる。誰かをフォローすると、その人と近しい人をInstagramが紹介(?)してくる仕組みになってて、そこに私が拗らせてた友達が出てきて動揺してます。大好きだったけど、進学して私の嫌いな子達とつるむようになって疎遠になったあの子のアカウント……。ここは私の恥部を晒す場なので書きますが、一瞬無言でフォロー申請を送りました。あの子なら私だって気づいてくれるかなって。フォローしてくれるかなって。期待して。本当に繋がりたい友達には自分からLINEでInstagramを始めたと伝えているんです。あの子のLINEはもう消してしまいました。連絡することないだろうなと思って。なのに!!今更!!ああ!!自分が拗らせすぎていて気持ち悪い。と後で思ってフォロー申請は撤回しました。あの子がまだ見ていなかったか、私であると気づかれなかったか、気づいたうえでスルーされたか分かりませんが死にたいです。自分が愚かすぎて。

そんなことを思っているタイミングで映画『ツナグ』を見ました。最近、映画『傲慢と善良』を見て、こっちの辻村映画化作品も良かったよな〜と思い出し、視聴。

女子高生のお話はもちろん今の自分に刺さりつつ、もっと気になったのがエンドロール直前に流れる、主人公の祖母役を演じる樹木希林さんの朗読。

この世の最上のわざはなに?

楽しい心で歳をとり、
働きたいけれども休み、
喋りたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、
おのれの十字架を担う。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても妬まず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや、人のために役立たずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、
古びた心にこれで最後の磨きをかける。
まことのふるさとに行くために。

映画『ツナグ』,2012年(漢字変換、改行は筆者による)

強烈に耳に残り(いま大学生の私は本当に働きたくない)、ググってみたところヘルマン・ホイヴェルスさんという神父の方が詠まれた「最上のわざ」という詩とのこと。

おのれの十字架を背負うことが"わざ"となり、老いの重みを背負うことは神の"賜物"となる……。老い、と聞くと若造の自分にはまだ遠いようにも感じられますが、生きていて生じる恥や後悔といった歴史の重さを老い、と呼ぶこともできるのかなあと。それを神の賜物と神父さんが言ってくれる……と思うと、自分もなんだか赦されているような気になってきます。勝手に。

何より、この朗読をしている樹木希林さんの声の説得力。彼女自身も、役と同様に深く後悔する経験を背負って生きている(いた)のだろうかと思いを巡らせていると、ちょっと元気が出てきました。

最後に、この映画を見て、先日届いた祖母からの仕送りにお礼の連絡をするのを忘れていたことを思い出しました。自分を大切にしてくれる身近な人をまず大切にしなくては。いつ会えなくなるか、話せなくなるか、わからないからね。


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