雑記『百年の孤独』①(p9~34)ーー重力の響き「出かけませんよ」
第1章では、マコンドの地勢的な広がりの限界が述べられている。
ホセ・アルカディオ・ブレンディアの「遠征」は、「文明世界との接触の可能性」がある「北方(p23)」へ行われた。その途上、「スペインの巨大な帆船が白くぼんやりと横たわってい(p25)」るのを発見。さらに12キロ、4日間を費やして「薄汚れた灰色の海(p26)」を前にしたとき、上記の叫びは発せられた。
一方、マコンドの東には険しい山脈がつらなり、その向こうには古都・リオアチャがあるという。じつは若き日のホセ・アルカディオ・ブレンディアと「その一行の男たち」が、「女子供や家畜を引きつれ」、「海への出口を求めて」その山脈越えに挑戦したのであるが、あまりにも難事業であったためあきらめざるを得ず、「帰途につく労をはぶくために(p22)」建てられたのがマコンドであった。
ということは、マコンドから西への道は既知であり、東への道はホセ・アルカディオ・ブレンディアを「過去へと引き戻すだけの(p22~23)」ものなので、「遠征」の候補からは除外される。残る南方は「切れ目のない乳皮のような緑でおおわれた沼」と「果てしのない(中略)湿原(p23)」が続き、それも西のほうで海につながるが、その方角へ船を乗り出したジプシーたちも、半年かけて「駅馬のかよう細長い陸地にたどり着いたにすぎないという(p23)」。
つまり、北方への「遠征」が海の発見につながってしまった時点で、仮設的であったマコンドの所在が確定する。いや、確定のタイミングは、遠征の失敗で失意にあったホセ・アルカディオ・ブレンディアによるマコンドの遷都計画が、妻・ウルスラにより断固として拒否されたときだろう。
「死人を土の下に埋めないうち」は、マコンドはいつまでも仮設である。任意の場所へ移すことも、この時点では可能であった。そのような浮動的なコミュニティーをひとところに定めることで、ある種のあつれきが生じるであろうことは想像にかたくない。
そもそもホセ・アルカディオ・ブレンディア自身は、かつて仮設的なマコンドで「いわば若き族長として振る舞(p20)」っていた。それが、ジプシーのメルキアデスらがもたらす、磁石、レンズ、「ポルトガル渡来の地図と若干の航海用の器具(p13)」、そして「金を倍加する方法(p17)」にのめりこむあまり、「率先して社会に奉仕するという(p21)」心構えも「あっさり消え」てしまった。そして「マコンドをすばらしい文明の利器と接触させる道をひらくため(p22)」に画策されたのが、北方探索であった。
この「文明の利器」との接触の端緒、つまりメルキアデスがマコンドにもたらしたものは、いわゆる正しい科学文明である。ホセ・アルカディオ・ブレンディアが磁石による金探し、巨大なレンズによる光学兵器の開発にとん挫しつつも、「天体観測儀や羅針盤や六分儀など(p13)を駆使し、地球が丸いことを発見する。錬金術にしても、メルキアデスがこの発見の称賛のしるしとして贈った工房に残されていた「一連のメモや絵地図(p18)」をもとに自力で挑戦したものだった。
つまり、ホセ・アルカディオ・ブレンディアはかなり「惜しい」ところまでいっていたのだ。しかし、妻ウルスラにとっては地球が丸いということも、「妙なこと(p14)」にすぎない。ホセ・アルカディオ・ブレンディアの没頭は、つねにウルスラによって破られる運命にある。そして妻のひと言によりマコンドの地にくぎ付けされることになる(最終的にはクリの木にくくりつけられる)。
ホセ・アルカディオ・ブレンディアとウルスラの夫妻だけに注目すると、女性は科学や男のロマンに無関心なリアリストで、男性の好奇心や行動の邪魔をするという構図が出来上がってしまうかもしれない。しかし、ホセ・アルカディオ・ブレンディアにも、妻の言うことをすっと聞き入れるタイミングがある。
ホセ・アルカディオ・ブレンディアはこのとき、14歳の長男・ホセ・アルカディオと6歳になろうとするアウレリャノを初めて「発見」する。
ここまで見てきたとおり、ホセ・アルカディオ・ブレンディアは没頭ぶりがひどい。さらに「幼年期というものを精神的能力の皆無にひとしい時期と考えていたこと(p30)」により、いわば息子二人は不可視の存在だったのだ。
このように見てくると、マコンドの地勢的な確定と家族の発見は完全にリンクしていることがわかる。ホセ・アルカディオ・ブレンディアがウルスラの助力を得て現実を見たときに、世界が見えてくる。いやマコンドという世界がこのとき誕生したのだ。逆にいえば、マコンドが「遷都」を続け、ホセ・アルカディオ・ブレンディアが家族を顧みなければ、マコンドという世界はいつまでも仮設的であり続けただろう。
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仮設性のある、地理的にも限定された「町」として想起されるのが、「新世紀エヴァンゲリオン」における「第3新東京市」である。「第3新東京市」は箱根の芦ノ湖湖畔に設けられたとする架空の都市である。「新世紀~」は主人公・碇シンジがこの都市を初めて訪れるシーンから始まる。
シンジは母を早くに失くしており、父とは別居していたが、3年ぶりの一方的な呼び出しにより第3新東京市に招聘される。つまり、シンジの既存の人間関係はいったん棄却され、この「町」において新たな人間関係(疑似家族、友人、上官、同僚…)が形成される。また、物語の舞台も「第3新東京市」にほぼフィックスされている。シンジはこの町での新しい人間関係をベースにコミュニケーションのままならなさを経験し、最終的に彼の葛藤は世界そのものの行く末に直結していく。
シンジによって「第3新東京市」が「発見」され、それを契機に彼がまわりの人間をやはり「発見」していく過程が物語の骨子であるならば、「新世紀エヴァンゲリオン」はじつはとても小さな枠組みに収まっていることがわかるだろう。同様に、ホセ・アルカディオ・ブレンディアによって確定・発見された「マコンド」「家族」が『百年の孤独』という小さな枠組みを規定している。
さて、碇シンジが「第3新東京市」の「外」からやってきたように、『百年の孤独』もマコンドの「外」からジプシーがやってくるところから物語が起動する。
ジプシーの到来は「毎年三月(p9)」で、そのたびにホセ・アルカディオ・ブレンディアを熱狂させるものがもたらされたのは先述のとおりだ。その中心人物たるメルキアデスはのちに死後のよみがえりを経て、ブエンディア家の「百年にわたる日々の出来事を圧縮し、すべて一瞬のうちに閉じ込めた(p623)」超重要かつ超自然的な人物なわけだが、この短い第1章のなかでも大きくその姿を変容させている。
メルキアデスの持病は、「度かさなる世界一周の旅の途中でかかった、さまざまな奇病のせいだった(p15)」という。しかし、本当にそうだとしても、そこまで急速に老け込むことがあるのだろうか。
メルキアデスはマコンドを出て戻ってくると老けているーー。これを素直に読み解けば、マコンドの外の世界の時間の歩みは速い、ということになる。
相対性理論では、光速に近い速度で航行する宇宙船の乗組員は、地球上にいる者よりも年を取らない。いわゆるウラシマ効果によって、宇宙船の中の時間は相対的にゆっくり流れる。この現象について映画「インター・ステラ―」では、重力の強い星での1時間が地球の7年に相当するとして描いている。マコンドはつまり、重力が強いのだ。
「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジは、第四話「雨、逃げ出した後」で家出をし、繁華街や田野をさまよう。この時点で彼が第三新東京市を出ることはないが、上官であり同居人であり、保護者役でもある葛城ミサトとの次の会話の後、町を離れようとする描写が現れる。
ミサト:この2日間、ほっつき歩いて気は晴れたかしら?
シンジ:別に。
ミサト:エヴェの準備、できてるわ。乗る? 乗らないの?
シンジ:叱らないんですね、家出のこと。当然ですよね。ミサトさんは他人なんだから。もし僕が乗らないって言ったら、初号機はどうするんですか?
ミサト:レイが乗るでしょうねーー。乗らないの?
シンジ :そんなこと、できるわけないじゃないですか。彼女にぜんぶ押しつけるなんて。だいじょうぶですよ、乗りますよ。
ミサト:乗りたくないの?
シンジ :そりゃそうでしょ。だいいち、僕には向いてませんよ。そういうの。だけど、綾波やミサトさんやリツコさ......
ミサト:いいかげんにしなさいよ! 人のことなんか関係ないでしょ。嫌ならここから出て行きなさい。エヴァや私たちのことはぜんぶ忘れて、元の生活に戻りなさい。あんたみたいな気持ちで乗られんの、迷惑よ。
シンジはエヴァンゲリオン(エヴァ)初号機のパイロットという自身に与えられた役割に対して、「乗りたくない」と拒否している。物語序盤のこの時点では、大人たちによる「エヴァに乗れ」という要請だけが、この町にいる理由であり、断絶した父との関係をつなぎとめる細い糸であった。シンジの「乗りたくない」という消極的な意思表示は、自分の存在価値の探索ともいえるかもしれない。「乗れ」と言われれば、それに従う。そこに、自身がここにいてもいいという理由が生まれる。
しかしミサトは、シンジの意に反して、嫌なら出て行きなさいと突き放す。それは彼が望む答えでもあり、引き留めてもらえるという期待を裏切るものでもあった。結果、シンジは彼女の「出て行きなさい」に従いかけるのだが、町を出る列車に乗る直前に拒否し、ミサトに「ただいま」と告げる。
この列車で町を離れるという場面は、第拾九話 「男の戰い」でも繰り返されるが、やはりシンジはとどまることを選ぶ。かように、重力の強い場所から離れることは容易ではない。
そして、ミサトの「出て行きなさい」とウルスラの「出かけませんよ。この土地に残ります」は、まったく逆のことをいっているようで、不思議に呼応している。まさに重力の響きというものだろう。現に、碇シンジもホセ・アルカディオ・ブレンディアも当地にとどまる選択をする。
仮設の「町」が「あなたの町」になったとき、世界は可視化する。一方でそれは巨大な重力の呪縛を生み、「あなた」をそのうちに取り込む。外の世界とは時間の流れの異なるマコンドで、「百年」が刻まれ始める。