(第2回目)網膜色素変性症と診断されてから現在までの間にどのように見えなくなっていったか①
こんにちは。
今回は私が網膜色素変形症をわず買ってから現在までで、生活の中でどのような不便や支障が生じてきたか、公的支援の申請やどういう行動をしたかということをお話ししたいと思います。
これを話す理由は、愚弟滝なライフステージ別の出来事を詳細に記すことで、同じ病気を患っているみなさんが今後、視力と視野の低下でどういう事が起こって、どういう事を感じるか、今後に向けてどういう心構えをしたらいいか、どういった情報収集をしていくといいかの指標になると思ったからです。
ネットなどで情報収集していると、視力・視野が低下していくのはわかった。だけどいつ、どのように見えなくなって、どの段階で何をどう行動したらいいの?
という状態だったのが過去の私が経験した心境であり、何もわからない状態での模索がとてもストレスで精神的にも非常に憂鬱でした。
せめて何か具体的なケースや指標が欲しい。
これが当時の私の心境でした。今でも同じです。
他の皆さんにも同じ思いはあまりしてもらいたくはないし、私の情報を参考にしてもらう事であれこれ調べる時間や無駄に考える時間を減らし、浮いた時間を皆さんの心の平穏を保つ時間に費やしてもらいたいからです。
前置きが長くなりましたが本題に入りたいと思います。
まず、時系列で簡潔な項目立てで症状の進行度や何を経験したか、何を行動したかを書き出してみたいと思います。
その後、各項目ごとに詳細を記したいと思います。
①28歳…眼科にて網膜色素変性症と診断。
②29〜30歳頃…周辺の視野狭窄を自覚するようになる。正面を向いた状態で膝から下の部分が見えなくなってきているのを自覚する。
③32〜33歳頃…PCでマウスポインタをよく見失うようになる。P Cでハイコントラスト(白黒反転機能)を少しずつ使い出すようになる。
④34歳頃…障害手帳取得申請。身体障害2級判定を受ける。ネットで白杖を購入し、プライベートでのみ使い始めてみる。
⑤37歳頃…うつ状態になり仕事を2ヶ月休職。市役所を通して歩行訓練士の方から歩行訓練や障害年金や様々な情報を得る。
⑥38歳頃…障害年金申請。共済障害年金2級で認定される。(一年後に年金の認定基準変更があり、申請をして障害年金1級と認定される。)
⑦40歳…市役所の日常生活支援品給付制度を利用して拡大読書機を購入。
⑧41歳(現在)…視野5度未満。強制視力0.4程度。。障害者支援サービス制度の利用申請を市役所に申請し、介護サービス事業者と契約して同行援護の利用を開始する。
以上が網膜色素変性症と診断されてからの私の見え方などの遍歴です。
前置きや項目立て等で長くなってしまったので、各時系列の詳しい解説などは次回にしようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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