「結婚決意の最適解」と感じた静寂で衝撃的な言葉。
結婚から6年が経った。
この6年間で学生時代の親友たちの結婚ラッシュもあった。
時には、僭越ながら友人代表のスピーチもさせて頂いた。
わたしが結婚を比較的早くしたからか、結婚前の親友達から相談を受ける機会が多かった。
そこで必ずされる質問があった。
この質問は年代、性別関わらず必ずされた。
そして、わたしはこの問いに対する最適解(私基準だが)を持っている
巷では、結婚は
「人生の墓場」
「コスパが悪い」
「自由の切り売り」
などなどとネガティブな意見も数多く言われており、主観なのでこの言葉に対する正解も不正解もない。
そんな時代に
ある言葉に出会えた。
少なくとも今まで出会ってきた言葉の中で、結婚についてこれほどまでに響き、今なお色褪せない言葉は聞いたことがなかった。
ハードルを上げに上げてしまったが、本当に思っていることなので許していただきたい。
ーーー
結婚式の3ヶ月前。
「本当に結婚するのか、、、おれ。」
結婚を控えて感傷的になっていたわたし。
結婚という人生最大の決断を迎えたとき、人はありとあるゆるリスクを考える。
そのリスクを一言にまとめると、
だと思う。
花見をしながら、そんなマリッジブルーに似た心境だったある日、私は牧師先生と話した。
90分ほどつらつらと想定した「リスク」を挙げた後、本音が出た。
「結婚して幸せになれるんですかね、、、。」
黙って永遠と話す私の言葉を聞き終えた先生は、穏やかに私の方を見ていった。
ーーー
なぜ「marriage blue」になるのか。
結婚直前になると、
上記のリストが突然頭に駆け巡り、急に不安になる。
「結婚」した途端、急に仲の良い他人だった人が、自分の車の助手席に座る訳だから、違和感があるのは当然だ。
その違和感に対して警戒したり、不安や不満を覚えるのもまた自然なこと。
しかし、いつもあの言葉を思い出す度ハッとするのだ。
結婚は「自分」の幸せを追い求めたら非常に辛いだろう。
ハードルも恐ろしく高くなる。
批判的にもなる。
ーー
テレビで著名な経済学者の方が、語っていた。
この言葉を聞いたとき、「なるほど〜、そうきたか〜」と納得していたのだが、少し寂しさも覚えた。
生涯を共にしようとする相手を「自分好みにしたい!」と思う願望は、誰しもある。人は、基本的に自分が一番可愛いからだ。それは本能とも言える。
「私の幸せ」のために、あなたは変わるべきだ。
と思っているのかもしれない。
お互いにそれを主張し合い、妥協点を探していく。
それも一つの形だと思う。
しかし、恋人の時もそうだが、結婚後はことさら自分が1番でなくなる時(子供、配偶者、親族)が必ずくる。
その時がやってくる度、「相手が自分を幸せにしてくれない!」と絶望をしていたら結婚生活は本当に辛いだろう。
それは「わたしの幸せ」を追求しているからではないか。
しかし、もう一つの視点として、
「自分よりも相手を幸せにしたいと思えるか?」も考えてみるといいのではないだろうか。
自分の幸せのために相手がいるのではなく、相手の幸せを願う自分がいた方が幸せではないだろうか。
そんな人と出会えたならば、それはどれほど素敵なことだろうか。
ーー
高級な人形と結婚したいのか?
私たちは、誰も高級雑貨屋さんで飾られた爪先から頭まで完璧な美しいものではない。
欠点を探そうとすれば、誰も無傷ではいられない
結婚を考えている”あの人”に改善して欲しいこと星の数ほどあっても、同じ位、いやそれ以上に自分にも改善しなければならないことがあるかもしれない
その視点を持てたら、相手への見方が大きく変わる
そう思えた人は相手の粗を探そうという思いはもはやないだろう。
相手と自分は同じ人間だ
相手も自分も欠点はある
そして相手も自分も尊敬し、愛を注ぐ対象であることを改めて確認したいと思う。
ーー
「理想論」
わたしが伝えたい言葉を記し終えた。
「そんなの机上の空論だ!」
と捉えても勿論良いし、そうかもしれない。
また6年前のわたしのようにこの考えに共鳴する方もいるかもしれない。
わたしは、自分でこうありたいと決断した。
これらは参考にできるが、最後に決めるべきなのは自分だ。
あなたの人生のハンドルを他の人に渡さなくても良い。
運転の仕方や助手席に座ってもらうのは良いが、ハンドルはしっかり握っておく。
6年前のあの日、わたしはこの言葉に共鳴した。
6年間紆余曲折あったけど、後悔はしていない。
むしろ、この言葉に何度も救われてきた。
これからも何度も救われるだろう。
わたしは、あの時わたしに決めてもらってよかった。
人生最大の決断を。
今、
結婚を迷ってらっしゃる方。
失恋して苦しい中にいる方。
これから結婚される方。
すでに結婚されている方。
今日「誰かの幸せ」が「自分の幸せ」になれますように。