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15,852㎞かけてピラニアとお風呂に入ってきた


「噛まれたら、どうするんですか!?」


かのアマゾン川有数する、ブラジルの都市マナウスで人生で最大の経験を5ヶ月間した。

この経験が今でも「Do it!」とハッパをかけてくれる。


わたしが住む東京からの距離

約15,852キロ。



フライトの時間、

36時間45分。


ーー

大学4年生の夏。
就職活動真っ盛りというより、終盤を迎えていた。

大学の同期は、人気ブランド企業へ就職を決める中、「就職浪人」の4文字が迫っていた。

就きたい仕事が本当にない。。。


これが本音だった。
蝉の騒がしい大合唱とは裏腹に沈んでいた。




朝(昼?)10時。
就職浪人間際の大学生らしからぬ起床時間

恒例の果汁100%のぶどうジュースを飲み干している時に母が言った。


「あんたさ、ブラジルに行けば?」


就職活動につまづく息子に母が持ってきた提案は、過激だった。
というか、具体的すぎないか?
国名まで出てきている。


明明後日の方向からきた母の提案を最後まで聞いた。

どうやら知り合いの牧師先生が2,30年前に理事長を務めたブラジル現地学校が、「日本文化のボランティア教師を探している」とのことだった。

確かに22歳にして今後の未来に行き詰まりを感じていたわたしは、藁にもすがる思いにはなっていた。

なっていたが!


ブラジルにすがる覚悟は毛頭なかった。



「絶対行かないけどさ!」

と前置きをした上でわたしはなぜか1日30分ほど詳細を密かに調べるようになっていた。

窮地に立たされた人間は、藁にもブラジルにもすがるのか。


しかし、ブラジルの学校がある都市を調べると、まあ出てくる情報が怖いこと怖いこと。


23位


この数字は何の数字か想像がつかれるだろうか。

学校がある都市の名はマナウス

世界危険都市ランキング23位に堂々ランクインする都市!!

メキシコのCitizens' Council for Public Security


メキシコのメディアが毎年発表するこのランキングは知る人ぞ知る凶悪犯罪等が多い世界の危険都市を紹介するもので、

これを見た瞬間

「うん、そうだな。

よし!やっぱりやめよう!」


そう決めた。

行くか、行かないかの返事に与えられた猶予は1ヶ月。
行かないと決めたのに、何か重大なミスを犯していないか不安だった。

「このまま日本にいたとして、何か変わんのか。」
「人の人生には3回ターニングポイントがある?って本で読んだな」

肯定的感情

「いや、いくらなんでも地球の裏側じゃなくても」
「現地で何かあったらどうする?洒落にならないぞ」

否定的感情

そっと踏み出そうとする自分とブレーキが折れる勢いで日本に居残ろうとする自分。
この狭間で10回いや少なくとも50回は揺れた。


いっそのこと誰か決めてくれ!


思考のシーソーに疲れ果てた末、本気でそう思った。
公園で見かけたベージュの帽子をかぶった散歩するあの人にサイコロでも振って決めてほしい。


でも、当時のわたしにとって人生最大の選択を誰かに委ねることはできない。
そんなことはほんとうは分かっていた。

何度も夢でうなされ、2週間くらい寝不足な日々が続いた。




母の一言から3ヶ月と10日たったある日。
わたしはブラジル行きのチケットを右手にもち、成田空港にいた。



人生最大の決断を下した後、5ヶ月間ブラジルアマゾナス州で過ごした。

一人暮らしの小屋の下にワニが散歩してた驚愕も、
恩人が銃で脅され、車一台奪われた治安も、
ジャングルでトラに食べられかけた恐怖も、
マナウス名物”ジェットコースターバス”での覚悟も、

マナウスでの非日常の日常

上にあげた以外にも多くの非・非・非日常を味わってきた。


今日はそれを置いておいて、中でも最も印象的だった

ピラニアとのお風呂に入った話


について。



ブラジル生活での恩人は間違いなく生粋の釣り人である"義さん"だった。
親子ほど歳が離れた義さんは。

「お前の人生で、

今後2度と味わえないような経験

させてやるよ!」



約束通り4日分の半袖短パンをリュックサックにパンッパンに詰め込み、"義さん"自慢の謎のエンブレムが刻まれた漆黒の車に飛び乗った。


マナウス市街地から車で半日。

速度制限もあったこっちゃない


映画のアクションシーンのような速度を出しながら、ようやく着いた先は大アマゾンのジャングルにひっそりと立ったロッジだった。

そこには釣り人たちの勲章である大きな魚拓が壁一面に所狭しと飾られていた。


世界の釣り人の憧れ、

「アマゾン川」


に来たのだ。


あいにく釣りに造詣がないわたしは、その凄さを知り得なかった。
しかし、この4日間で文字通りもう2度と体験できない、いや2度はもう心も体ももたない経験をさせてもらうことになった。




頬に傷を持ち、木の幹のような筋骨が印象的な男がこちらに歩いてきた。
水色の麻のシャツを羽織っただけのその男は、義さんとハグをした。

彼の名前は、

「Paulo(パウロ)」


今回の釣りのための案内人兼船長だった。

Boatを操縦するパウロ


わたしは「肝の座った目」という言葉は知っていたが、初めてそれを現実に見ることができた。

生まれも育ちもアマゾンのジャングル出身のパウロは、文字通り生死を何度も彷徨ってきた。
そのことが都会温室育ちのわたしにも感じられた。

ドラキュラのモデルと言われる血液だけ飲んで生きるmorcego(コウモリ)
体重100キロを有に超す全長7mの人飲みcobra(大蛇)
20センチ程の小さい体で体内に侵入し内臓を食い散らかすCandiru(肉食淡水魚)

365日、殺気を放つ数多の危険生物たちと共存してきたのだ。



パウロは、見た目とは裏腹に穏やかな人だったが、ジャングルの奥地に行く上でこれほど頼もしい人はいなかった。

元々は黄色であっただろう今は薄茶色のボートに乗った。
古びたボートの調子は悪く7、8回エンジンのコードを強く引き、ようやく動き出した。

20分間。
霧がかかった不気味なほど静かなアマゾン川を進んだ先に、この光景が目の前に現れた。


写真で伝わるのか不安な絶景


200本


いや500本は有に超える木が乾季で干上がった川の中から浮き出ている幻想的な風景は、ここが20年間暮らしてきた地球なのか困惑するほどに美しかった。


妻から
「ねえねえ知ってた?楽しければ、笑っていいんだよ。」
と言われる程、あまり物事に感動できない質のわたしが、無意識的に

「ótimo、、、」



と漏らしたほどだった。
※ポルトガル語で「すごい」「最高」などの意味。

大自然がそのままの姿で鎮座する美しさの前では、人間は面白いほど素直になる。


17年間暮らした世界的な創造性に富む大都会、東京。
しかし、この日ほど創造的な光景に出会ったことはない。



15匹-10匹-1匹


初日の釣果は散々だった。
上の数字は、義さん・パウロ・わたしの順だ。

釣り歴0年の素人の私には、アマゾン川に釣り糸を垂らしつづけたが、やはりプロと素人の差は歴然だ。


3,000種を超えるといわれるアマゾン川に生息する魚は、わたしの釣り竿に1匹も引っ掛かってはくれなかった。

大物を釣る"義さん"


パウロと義さんの釣竿は面白いようにかかる。
どうやら、魚を誘うスナップ技術がわたしには足りていないようだ。

なかなか釣れずに落ち込むわたしに、船長パウロが最終兵器を用意してくれた。

「これを使ってみろ、面白い魚が釣れるぞ」



蛙か蛇か分からない生肉を渡された。
鋭利な木の棒で切られた生肉を釣り針につけ、川に入れた。

すると、

釣り竿が揺れた!


明らかに何かがかかっている!
ようやく訪れた好機に無我夢中に竿を引くと、小さな魚が釣り針にかかっていた。

喜びのあまり、その魚を持とうとしたところ、

「待て!」


と声がかかった。

「そいつの歯をよく見てみろ」
恐る恐る覗き込むとギザギザに生えた歯と殺気を感じる目が見えた。

ピラニア(Piranha)だ。


Piranha=歯(Ranha)を持つ魚(Pira)という語源通りの出立ち。
わたしがアマゾンで初めて釣った記念すべき魚は、ピラニアだったのだ。

獰猛さが小さな生き物に宿っているようだった。

かくして、わたしがアマゾン川で初めて釣った魚は「ピラニア」だった。



アマゾンの"高級"ペンション


日も落ち、夕凪のように風が落ち着いた頃、その日の釣りを終えた。
そしてその晩、われわれが泊まる小さな島にボートをつけた。

痛いっ!!!


1日中アマゾンの日差しに晒され、上半身裸で釣りをしたわたしの体は、真っ赤に日焼けしていた。


26匹の今日釣った魚をお腹を空かした人間3人は食べることにした。
食器やカトラリーのような洒落たものはない。
お皿は木に登ってとった大きな葉っぱだ。お箸は右手だった。


いざ、実食!!


ジャングルで食すご飯は格別で、ピラニアは淡白な味ながら密林の中でのご馳走だった。

実際の調理風景


高さ20m程の木々の枝と枝、葉と葉がぶつかる音や密林を住処とする動物の気配だけが5感を刺激する世界は、どこよりも透き通っていた。

日本にいた時のわたしは、徒歩5分のコンビニに行くのにも携帯を忘れると退屈していたのに、

4日間 約90時間


携帯電話を触っていない。むしろその存在さえ忘れていた。
この地球にもっと浸っていたいと思っていた。

夕食を終えて、寝そべりながら広い広い空を見ていると船長パウロが大声で叫んできた。

「おい、ジャポネース!
 ピラニアと風呂に入るぞ、かさぶたはないな?」

生涯忘れられない台詞

「かさぶたはない、 、 、よ。え?」


パウロと義さんは豪快に服を脱ぎ、真っ裸で川に飛び込んだ。
先程、その川でピラニアを釣ったのをお忘れだろうか。

「ótimo(最高)!! ótimo(最高)!!」


とそう言いながら、大の大人いや巨漢の2人が楽しそうに騒いでいる。


確かに、川でお風呂は最高だ。
異論は一切ない。100%の同意を送る。
しかし、それは"安全な川"に限る。

あの2人が入っている川は、その限りではない。


「おい、早く来い!」


大自然の中、特異な環境とおかしな大人たちに囲まれた「わたし in ジャングル」は感覚がおかしくなり、土で汚れた短パンを投げ捨てて川に飛び込んだ。

感想は、、、、
少年時代に田舎の友達とした川遊びのような爽快感と得体の知れない"なにか"が足や背中に触れる度、我に返る

スリル感のジェットコースター


だった。



「ピラニアとお風呂」の現場写真


今、振り返っても背筋が凍る。
もうあんなことは一生できる気がしない。

5ヶ月間


ブラジルでの「人生の夏休み」がわたしを変えてくれた。

何不自由ない大都会で一人暮らしさえしたことのない22歳の若者が、15,852キロ離れた地球の裏側で教えてもらった。

地球は、
人生は、
自分は、

思ったより小さくない。
そう知ることができた。


あの日、


嫌になる程迷っていたあの日。
ブラジル行きのチケットを握った自分の決断が、わたしを今日へ連れてきてくれた。

地球に
人生に
自分に

もっと、もっと体当たりしていい。
それらはわたしを受け入れるに余りある。


今日も未知の"お風呂"に飛び込んでみよう。
時には噛みつかれるかもしれないが。








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