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掌編小説「砂時計が落ちきるまで」

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店主と客が初めて会話したときの話。

砂時計が落ちきるまで


 私が時々訪れるカフェの店主はいつも、砂時計を使ってコーヒーを淹れる。
 よくある小さなものからタンブラーサイズのものまで、マトリョーシカのように背の順で並べられており、コーヒーの種類によって使い分けしているようだ。混んでいる時はくるくる踊るように幾つもひっくり返されるので、ついつい目で追ってしまう。どれがなんの時間だったか忘れてしまいそうなものだが、この店主はまるで迷う様子がない。全部覚えているらしい。
 どうしても気になってしまった私は店の空いているある日、声をかけてしまった。
「砂時計っていえば紅茶のイメージがあるんですけど、面白いですね。」
 店主は愛想笑いを浮かべる余裕なく、ああ、ええ。と曖昧に頷いた。まさか話しかけられるとは思っていなかったようなリアクションだ。自分のことを透明人間と思っていたのか、ただただ接客が不得手なのか。
「パフォーマンスというには大袈裟ですが、待ち時間の慰めにもならないかと思って」
 タイマーのアラームが鳴るのも野暮でしょう?そこでやっと店主は表情を緩めた。
「数字に忠実だなあ。理系ですか?」
「全く。数学も化学もからきしで」
 しかし、理屈がわからないからこそ教科書通りにやっているのだと店主は続けた。
 なるほど下手に我を出さずに先人の知恵を借りるのは賢いやり方なのかもしれない。そしてその精神はこの店の心地よさの理由にも通じている気がした。
 殺風景ではないが最低限の店内と、そんな無愛想さに垣間見えるささやかな遊び心。
 会話はそこで終わり、また二人して砂時計を見守る。
 沈黙はサラサラと軽やかに通り過ぎていった。