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キルケゴールが強迫症のボクに教えてくれたこと。〜強迫症自体は絶望ではない〜

こんばんは🌇強迫症のボクです。

今日読んだ本の内容がすごく面白かったので、皆さんに紹介していきたいと思います。

今日のテーマは、キルケゴールの『死に至る病』です。ただ、死に至る病を読んだわけではありません笑今日読んだ本はこちらです💁

この本は哲学名著50冊について、重要な部分を切り取り詳しく解説しています。この本の中で今回気に入ったところが、キルケゴールの死に至る病の部分でした。
※全部は読めていないので、また面白い部分が出てくれば随時紹介していきたいと思います。

皆さんは、絶望を感じたことがありませんか?ボクは強迫症になって人生に絶望をおぼえています。しかしキルケゴールは絶望には2つの方向性があるとしています。

1つは、現実から目を背けて理想を追い求めることだそうです。
もう1つは、理想を忘れ現実にどっぷり浸かることだそうです。

上記の著書の記載によれば、前者は『現実世界で努力せず、単に夢想すること』、
後者は『理想を嘲笑い世間的な成功にしか関心を持たないこと』
だそうです。(上記著書213ページ参照)

では、ボクの現在はどちらの絶望に当てはまるでしょうか?ボクはどちらかと言うと、前者に近いのかな?と思います。

病気が治ればこんなこともできるのに、と考えたりすることがあるからです。しかしキルケゴールによれば、今ある自分から抜けて他人になることはできないため今ある自分を欠くことを絶望と呼ぶそうです。

つまり、行動しなければ絶望から抜け出すことはできません。なのでボク自身も絶望から抜け出すには今の自己と向き合って、行動していくことが大切だと思いました。

ただ、こんなことよりもボクが興味を持ったのは『有限性の絶望』という話です。これは、現実世界・世間の基準から自分の存在を規定することを絶望だと考えるというものです。

他の人と同じことをしている方が気楽で安全と考え、器用に立ち振る舞おうとすることに絶望があると考えるそうです。人は個々人によって個性があるため、世間の基準に自分を合わせようとすると疲れてしまいます。

ボクもそう考えると、強迫症を治さないといけない(普通の状態に戻さないといけない)と考えるから、絶望を感じてしまうのかもしれません。

確かに、世間の基準に合わせる方が世間から評価をされるかもしれません。しかしそれが自分にとっての正解だとは限らないのです。つまり、良い学校に出て良い仕事に就くと考えることは、自分が形作った考えではなく世間に形作られた基準に自分を押し込んでいるにすぎないのです。

でも本当に大事なのは、自分が正解だと思う道を進むことではないでしょうか。なのでボクも別に強迫症は治らなくても良いのかなと思ってきました。このように考えると、ボクが絶望を乗り越えるためには強迫症という事実を受け入れ、そうした上で自分で形作る道を進んでいく、それが絶望を乗り越えることにつながるのだと思います。

ボクはキルケゴールの話を読んで、気が楽になりました。世間一般の基準に当てはまることが絶望という発想がなかったので、新しい視点を身につけられました。

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