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安田菜津紀氏の勇気ある発言を支持します
今朝公開された驚くべき記事。
安田菜津紀氏は、僕とトナさんが以前から支持しているフォトジャーナリストだ。
僕らは、彼女が出ている「サンデーモーニング」は欠かさず見ているし、ラジオも出来るだけ聴いている。
支持している理由は、「話す内容が分かりやすく、とても共感でき、問題意識を抱かせてくれるから」だ。
スカッとしたコメントを言ってくれる、とか、そういうことでは全くない。
問題意識を持つことを苦痛に感じさせず、むしろ、さらに考え続けたくなるような気持ちにしてくれる存在、とでもいうか…。
「常に様々な角度から考察し、無意味に人を傷つけることなく、冷静に問題の原因を浮き彫りにしていく」という、その「ジャーナリストとしての姿勢」を支持している。
今、僕がとても気になっている、伊藤詩織氏に関する安田氏のコメントも、素晴らしいと思った。
特に、この部分。
「その人のふるまいの問題を問う」という目的のために、その人の人権を侵害していいわけではありません。「普通の日本人としては…」という文言を引き合いに出すことも暴力的と感じます。またときに、「恩」「感謝」という言葉を相手に押し付けてしまう態度が、支配構造を生みだす恐れがあることも、慎重に見ていく必要があります。
「外国特派員協会」の記者会見を見て、僕が、なんとなくモヤモヤしていた部分を見事に表現してくれていた。
「恩を仇で返す」という表現が外国人記者に通じなくて、再質問されていた。
「普通の日本人としては…」という言い訳をしているのだけど、そんなの答えになってないと思う。
「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」に関する騒動は、ひとことでスカッと解決できる問題ではないことはよくわかる。
これからも議論を重ね、様々な意見を聞くべきだと思う。
ただ一つ言えるのは…。
真剣な記者会見の場で、「普通の」とか「日本人として」とか「恩」とか「感謝」とか、曖昧で抽象的な応答をする人間は、あまり信用しちゃいけないように僕は強く思うのでした。
これは僕の単なる憶測だけど…。
元弁護士の人たちは、「日本人なら普通言わなくてもわかるでしょ」と思っていたことが伊藤詩織さんに伝わっていなかったことに「腹を立てて」いるんじゃないか、ということ。
あまりにもガラパゴス、というか…。
海外に出てジャーナリストをしている伊藤氏に「日本人ならわかるでしょ?」みたいな言い方したって簡単に通じなくてあたりまえなんじゃないだろうか。
性被害からのサバイバーを、再び世間に晒して苦しめる必要があるほど、伊藤氏は間違ったことをしたのだろうか?
間違ったのかもしれないとして、サバイバーを再び晒し者にして傷つける以外に、彼女に伝える方法はなかったのだろうか?
なんか、帰国子女が「生意気」という理由でいじめに遭う状況に似てる気がする。
以上は僕の憶測であり、単なる感想でした。
あくまで、現時点で、僕が得ている情報から、勝手に想像しているだけのことです。
「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」に関しては、僕が前の記事でリンクした、ミキ・デザキ氏のコメントが今のところ一番しっくりするし、全くもってその通りだと思う。
伊藤詩織氏は、映画製作中に、もっとドキュメンタリー制作に詳しいプロのアドバイスを受けるべきだったと思う。
だけど、それにしても…こんな責められ方をしたら、日本の性被害者たちは、ますます委縮して、怖くて、声を上げられなくなるんじゃないかなぁ。
サバイバーの勇気を踏みにじっているのは、いったいどっちなんだろう?
話を冒頭の安田菜津紀氏にもどす。
今日の安田菜津紀氏の勇気ある発信で、僕は久々に広河隆一氏の事件を思い出した。
ほとんど忘れていたけれど、こんな結果になっていたのか…。
広河氏と言えば、雑誌「DAYS JAPAN(デイズ・ジャパン)」だ。
僕は、1988年に講談社から創刊された当時、この雑誌を知人から借りて良く読んでいた記憶がある。
フォトジャーナリストの広河氏は常連の記者として寄稿していた。
その後、「DAYS JAPAN」は、アグネス・チャンからのクレームにより廃刊に追い込まれた。
ウィキペディアに、当時のことが少し書かれているけれど…。
なんでこの程度で廃刊に?
いち読者として僕は強い疑問を感じたのをよく覚えている。
アグネス・チャンは社長に「直接」クレームを入れたのだ、とか、当時の社長はアグネス・チャンと個人的に親しかったとか、色んな憶測が流れたけれど、結局末端の読者は真相を知るすべもなかった。
結果として、なんとなく、僕の中では「DAYS JAPAN」は「不条理な被害に遭った側」みたいな印象になり、執筆者たちや編集者たちを必要以上に英雄視してしまったような気がする。
2004年に、広河隆一氏が初代編集長となって「DAYS JAPAN」が別会社から復刊されたとき、僕は喜んだ記憶がある。
と言っても、再び熱心な購読者になったわけではないけれど…。
前に貸してくれていた知人と、そのころは疎遠になっていた、というのが理由である。
支持しているのなら、買えよ、て話なんだが…(ケチなので)。
とにかく、この雑誌がきっかけで、フォトジャーナリストを目指した若者は多かったと思う。
その中の一人が、安田菜津紀氏だったかもしれない。
2018年に報じられた、広河隆一氏の事件は、本当に衝撃だった(今まで忘れてたけど…)。
今、改めてネットで確認したけれど、本当に、本当に、酷い事件だと思う。
権力勾配が存在する現場で、いきなり性的なことを要求されたとき、被害者たちは冷静沈着な判断が出来るだろうか?
よくわからないままに、気がついたら、こうなってて…何年も経ってから気づいて、深く傷ついて…てことは、実際あると思う。
「その時声を上げなかったから同意とみなした」という考え方はおかしいと思う。
僕ら日本のゲイの間で非常に人気がある(と言われている)映画「Wの悲劇」の中のシーン。
三田佳子が、同じ劇団員の女性に向かって言うセリフが有名だ。
「チケットを売るために、ヤスエさんだって、女、使わなかった? 私はしてきたわ!」
確かに痛快で爽快で面白い場面だと思うし、僕も大好きだ。
だけど…、世の中では、こういうことが誇張され拡大解釈され過ぎていやしないだろうか?
これは三田佳子が演じているキャラクターの考え方であり、全女性に当てはめるのには無理がある。
第一、あくまでフィクションだし。
アダルトビデオばっかり見ている男性が、実際の女性を相手にしたときにビデオと同じプレイをして嫌われる、みたいなことに似てるんじゃないかと思う。
なんだか話がどんどんずれてしまったけれど…。
僕が今住んでいる沖縄県でも、南城市長のセクハラ事件がずっと話題になっている。
この事件は、先日、嫌疑不十分で不起訴になってしまった。
たしかに、誰も見ていない場所で起きたことを立証することは困難だと思う。
けど、南城市役所の職員にアンケートを取った結果、他にも複数の女性が普段からセクハラを受けていたみたいだし…。
今回訴えていた女性は、最初に役所の上司に相談したのに、もみ消され、仕方なく勇気を出して告発したのに。
結局、勇気を出して声を上げた人が、誹謗中傷の的になって終わる、みたいに収束しそうで、非常に後味が悪い結果となってしまった。
僕には真相はわからないけれど…。
被害者の女性が、わざわざ、名乗り出て、告発する、という行為は、もっと尊重されても良いんじゃないかと思う。
みんな、「Wの悲劇」とかアダルトビデオの見過ぎなんだ、と思う。
最後に(ながくてしつこくてすみません)。
僕とトナさんはテレビドラマが大好きで、このnoteも二人で見たドラマの話を中心に書いていこうと決めている。
話題作は大体見ることにしているけれど、僕らは「全裸監督」には全く食指が動かなかった。
僕もトナさんも、バッチリこのドラマの時代の世代だし、黒木香氏がテレビのバラエティに出まくっていたころ、笑いながら観ていた記憶がある。
だけど、この「全裸監督」は、制作にあたり、黒木氏の承諾を得ていないらしいのだ。
黒木氏は、現在消息不明で、連絡を取ることが出来ないらしい。
彼女の現在の精神状態を確認することなく、エンタメとして消費しても良いものだろうか?
そういう思いがよぎったため、僕らは「全裸監督」を見る気が全く起きなかったのでした。
以上。
今度こそ本当に、今日はおしまいにします。