リオブラボーのDeguello を聞きながら
https://www.youtube.com/watch?v=AR-KbvXvBd8 =Deguello - Theme From "Rio Bravo" この音楽はアラモの映画の中でも流れ、男とはこの行いをするものだと見本を見せられたこともある、1830年代、テキサスはメキシコの領地だった。多数の移民が流入する中、軍事独裁制のメキシコからの分離独立を目指すテキサス革命が起こった。合衆国のヒューストン将軍は、劣勢な革命軍を立て直す時間を稼ぐ為に、トラビス中佐にアラモ砦の死守を命じた。
アラモ砦は、伝導所の廃墟を改造した貧弱な施設だった。1836年、僅か187名で砦に駐留するトラビス中佐。対するメキシコ軍は統制のとれた大軍で、勝敗は初めから明らかだった。そこに駆けつけるジム・ボウイやデイビー・クロケットの率いる数十名の義勇軍。ボウイとクロケットは共に合衆国の伝説的な英雄であり、男臭い熱血漢だった。
近くの町で、メキシコ軍のシンパに蹂躪される美しい未亡人を救うクロケット。クロケットと共に、メキシコ側が隠した大量の火薬を奪うボウイ。クロケットは言葉巧みに、近隣の住人たちを味方に引き入れ、食料としてメキシコ軍の財産である牛を、百頭も奪って砦に追い込んだ。しかし、メキシコ軍は圧倒的な勢力で、指揮官のトラビス中佐は更なる援軍の到着を心待ちにしていた。
6千の敵軍に包囲されるアラモ砦。砦には、夫に同行して来た多くの妻子も留まっていた。女性と幼児の退去を勧めるメキシコ軍。涙ながらに砦を去る妻子たち。当初は善戦し、10日間は持ち堪える革命軍。たが、もはや援軍が期待できないことは明らかだった。正規軍以外の兵に名誉ある撤退を勧めるトラビス中佐。だが、クロケットたち義勇軍は誰一人引かなかった。
13日の攻防の末に、革命軍は全滅した。トラビス中佐の腹心であるディキンソン大尉の夫人と幼い子供たちは、最後まで踏み留まって生き残り、メキシコ軍が敬礼する中、堂々と砦を後にした。砦は落ちたが、メキシコ軍を引き留めた功績と、その武勇が味方に残した意義は計り知れなかった。 大いにこの行いは称賛される面が多い、味方達よりも多い敵を相手にできるだけ時間を稼ぎ、あとに控える友軍をそろえて鍛え上げるという事は出来たからだ