鉛筆ほしい

鉛筆が欲しいです。やはり無いものが欲しいですね。小学生の頃、シャープペンシルに憧れていたように。

大好きな作家さんのエッセイを読んでいると、鉛筆について書かれていました。それは私に鮮烈に鉛筆の感触や匂いまでも思い出させ、と言っても大した記憶はないのですが、人格形成に大きく関わる小学生の期間に色濃く刷り込まれた鉛筆には小さな執着があることに気付かされました。

とっても小さな鉛筆をたくさん集めていました。これでもかと言うほど使い込み、時には鉛筆削りに詰まらせ父の手を煩わせたりなどしました。カッターで芯を尖らすことにも憧れ、下手くそに削ったりもしました。(納得がいかず、鉛筆の半分ほどを削ったのはなんだか面白い記憶です)
高学年にもなると周りは大人びてきていて、鉛筆の柄もいわゆるオトナかわいい(側から見れば当然子供のような)柄の鉛筆が主流となっていました。私は迎合し、好きでもない柄の鉛筆を選ぶこともありました。
そんな中、特に記憶に残っている鉛筆は小学生1、2年生の頃母が選んで買ってきてくれた2本の鉛筆です。一本はマットな素材だけれど木の色味を活かしたおばけの柄のかわいい鉛筆。もう一本は、にわとりとうんちを合わせたキャラクターと少しギラついた背景の鉛筆。
一本目のおばけは、私がもったいなく思い使うのを後回しにしていた鉛筆です。マットな素材のものは生まれて初めてで、革命的でした。すべすべで、なんだかかわいい。今思い出してもあの鉛筆はかわいいと思います。(記憶が美化されていると言われればそれまでです。)
後者の鉛筆は、特に思い出はないですが、なんせ柄が柄なので、印象に残ったというところだと思います。母のたまに現れるユーモアが好きでした。(確か特に短くした鉛筆の一つのような気もします)

今、私が欲しい鉛筆は緑の体の鉛筆らしい鉛筆(当然箔押し有り)か、黄色の体に銀の金具で繋げられたあかい消しゴムのついた鉛筆です。昔の趣味とはかなり変わっています。当然ですね。鉛筆の静かさが好きです。手に馴染むとはこう言うことだと感じます。近いうちに鉛筆をたくさん買いに行こうかなあ。

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