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年末に襲われた「普通の幸せコンプレックス」について自己開示してみる
※ヘッダーは苦しんでる風の我が愛犬です。多分全然苦しんでないけど
新年の挨拶やら抱負やらを語る前に、12月いっぱい苦しみ続けたコンプレックスについて自己開示しつつ、言語化して消化しようと思います。
僕は心の内にめちゃくちゃ大きいコンプレックスを抱えてきました。
正直めちゃくちゃ恐ろしい行動ですが、一方でこの先自己実現をする上で必要なこととも思っているので、この機会に前向きに開示したいと思ってます。
長くなりますが、お付き合いいただけるととても嬉しいです◎
僕は「“普通の幸せ“」コンプレックスだ
僕は毎年、年末年始になるとだいたいメンタルがガタガタになります。
忘年会や新年会をしている人たちを見ると、世間一般の「普通」ができない現実を突きつけられるからです。
自分は子どもの頃からかなりの見栄っ張りでした。目立ちたがりで一目置かれたがり、そして何よりモテたがりでした(迫真)
しかし小中高と運動が得意ではなく、小4から始めた野球も当然下手でした。
そのことを小中高と指導者から怒られ、チームメイトやクラスメイトからバカにされてきました。
今思えばいじめのような扱いも受けていました。
そして、当時は気づいていませんでしたが自分は大人数のコミュニティが苦手でした。
クラスや部活動、大人数サークルなど、人数が増えれば増えるほど活動が終わった時の疲労が溜まりやすい傾向がありました。
その上、大人になってからはお酒が体質的にほぼ飲めないことがわかり、集団行動への苦手意識に拍車がかかりました。
これらを積み重ねた結果、自分のことを「みんなができることができないやつ」と認識するようになりました。
また、自尊心が傷つくと無意識に自分を守る言動をとるようになり、人付き合いがよくわからなくなり長く続く友人関係を築くことが苦手になりました。
そういった関係が全くのゼロというわけではないのですが、数年前にメンタルを持ち崩したこともあって昔からの友人と定期的に会うことを避けてきてしまい、未だに会っている友人はごくわずかしかいません。
正直実生活では全く困っていないです。
が、これがコンプレックスになってしまって他の人ができていることができない自分が情けなく感じ、苦しくなるのです。
このコンプレックスを乗り越えるために、これまで長い時間をかけて色々なことを頑張ってきたつもりでした。
中高の野球部、現役・浪人と2年間の大学受験、大学のサークル野球、公務員試験、野球の勉強、塾講師の仕事、自己理解etc…
正直、心が限界を迎えて生きることを諦めようとしたことも幾度となくありました。
公務員試験に3回落ちたとき、適応障害になって仕事に行けなくなったとき、4年付き合った彼女に音信不通にされたとき、当時のやりたい(と思った)ことを見つけて入った会社を試用期間でクビになったとき、などなど挙げたらキリがありません。
が、その度に立ち上がって前向きに進んできたつもりでした。
今では天職と思える仕事に出会い、本当にやりたいことを見つけ、おまけに同棲まで始めて今が一番幸せと思えるような人生にようやくたどり着くことができたはずでした。
それなのに。ここまで人生が変わったにもかかわらず、どうしても過去に対するコンプレックスが消えませんでした。
結婚式に呼び合うような友達がいないこと。
年末年始の度に会うような親友がいないこと。
友達と思っていた人との関係が切れていくこと。
何度も野球チームを辞めてきたこと。
いざ新しいコミュニティに飛び込んでもキツくなって終わってしまうこと。
本当の仲間と思える存在に巡りあえてこなかったこと。
どれだけ変わったところで過去の事実は変えられない。
自分の根本は「普通ができない社会不適合者」なのだと突きつけられたような気分でした。
自業自得と思っていながら、全てが苦しく思えました。
現職の同僚と信頼関係を築けても、その同僚が地元の友達の結婚式に出席するという話を聞くだけで苦しくなります。
自分は所詮、誰にとっても二の次の存在なのだと思ってしまう。
先述の4年付き合った恋人から、別れる直前に
「普通でいいの。私はもう十分待った」
と言われました。
自分も普通でよかったのです。むしろ普通が喉から手が出るほどに欲しかった。
普通に友達ができて、普通に進学・就職をして、普通に友達や彼女と長くいい関係を築いていきたかった。
数人でいいから信頼関係を築きたかった。
僕はその日から「普通の幸せ」の呪いにかかりました。
天職に出会い、やりたいことを見つけ、一番大切な存在ができたにもかかわらず、ふとした拍子にこの苦しみが湧き出てしまう。
いつまた苦しみに心が呑まれてしまうか、いつまでこの苦しみと付き合っていかなければならないのか、どうしたら苦しみを手放せるか、全くわからない。
生きていることがただひたすらに辛い。
どうしたら乗り越えられるのか。もう変われないのか。
年末の僕の目の前は真っ暗闇に包まれていました。
普通じゃない人生に振り切れない原因になっていた「実績コンプレックス」
そんな状況にあった中でも、Xで気持ちを吐き出すと様々な方が反応してくださり、思い思いに温かい言葉をかけてくれました。
本当に一言一言がありがたかった。
その中でも、1人の方が連絡をくれて自分の本音を電話でひたすら聞いてくれました。
その方は自分の話を
「そう考えるんだ!面白いなあ…」
「それは何でそう思うんですか?」
「なるほど…欲張りですね笑」
とひたすら興味を持ちつつ、時にいい意味で軽いテンションで聞いてくれました。
僕は話しながら考えを整理していくタイプなので、話を引き出してもらう中で色々なことに気づくことができました。
その中の一つが「実績コンプレックス」でした。
自分は得意と苦手が明確に分かれるタイプで、得意なこと(分かりやすく伝える、傾聴、本質を捉えるなど)に対しては結構自信を持っています。
特に野球の技術論や人材育成に対する考え方、指導スタイルに関しては結構勉強してきたため、特に強い得意意識を持っています。
ただ、先述の通り自分は野球が下手だったので、甲子園出場経験はおろかレギュラー経験すらありません。
また、社会人としても公務員試験に3回落ちたり、適応障害になって職を転々としたりしている社会不適合者です。
どんなに今何かに自信を持っていたところで、野球の実績や前職までに積み上げてきた実績はいずれも皆無です。
そんな惨状なので、これまで転職先を探そうとしても「経験不足」「実績不足」で落ちたことが何度もあり、
(経験も実績もない自分はやりたいことがあっても社会からは認められないんだろうな…)
と思うようになってしまいました。
そんな状況なので、昨年末から始めた野球指導に対して頭では自信を持ちつつも、
(相手は元プロや元甲子園球児だぞ…?)
(俺なんかが本当に戦っていけるのか…?)
などと思ってしまっていました。
普通の幸せを追いかけなくてもいいと気づいた
ただ、この時点で一つ気がついたことがありまして。
それは「普通じゃない方に振り切れられるならそうありたい」ということでした。
これまで普通ができない自分が嫌なものとばかり思っていましたが、より深掘りしてみると
「普通もできず、かといって突き抜けることもできていないのが苦しい」
という認知に変わりました。
また、ここまで「普通」にこだわっておきながらも僕は本来見栄っ張りで目立ちたがりです。
本来普通じゃ満足できない人間だし、「みんなと同じ」なんてまっぴらごめん。人と違う自分、人にはない能力を持っている自分に強い快感を覚えるタイプです。
つまり「普通じゃない方がいいっぽい」ということに気づきました。
この時点で心の緊張がかなり緩みました。
自分を救ってくれた「実績は指導力の証明にはならない」の言葉
さらに、上記に加えてその方からの言葉が僕の認知を一気に変えてくれました。
それは「実績は指導力の証明にはならない」というものでした。
元プロ野球選手、甲子園出場経験あり、といった実績は「選手」としての実績であって「指導力」の実績ではない。
ということは、自分の指導で成長した選手の映像や生の声を集め、成長の幅を示したら彼らの実績に間違いなく勝てる。
要するに、僕のようなレギュラー経験がない選手でも元プロや元甲子園球児と戦えるということがわかりました。
この瞬間、心に光が差しました。
そして、このとき気づいた自分の癖がもう一つ。
どうも僕は「基準なき敵と戦おうとするとIQが下がる」傾向にあるようです。
基準なき敵。数値化できないもの、定義が曖昧なもの、これだけあればOKと明確に決められないもの。
こうしたものを敵にすると自分の思考は固まってしまうようです。
今回言ってもらったこと、冷静になってから振り返ってみたところ(こんなの当たり前だよな…)と思いました(白目)
普段の偏屈な自分であれば(そもそも実績の定義って何だ…?)とか考えそうなものですが、コンプレックスの対象に相対するとどうしてもダメ。
(自分には実績がないから…)以上の思考ができなくなります。
そういう敵と相対したら、自分一人じゃ勝てないから人の力を借りて考え直す。これでいいのだと気づきました。
この2つの気づきのおかげで、僕は暗闇を脱することができました。
今回の苦しみから学んだこと、そして今後目指すもの
今回の件を機に、僕はようやく完全敗北し続けてきたコンプレックスと対等に向き合うことができ、少しだけ彼と友達になれたような気がします。
そして!これからは囚われてきた「普通」を追うのではなく、徹底的に「普通じゃない」自分らしさを目指して振り切れようと思いました。
心とは不思議なもので、一度吹っ切れてしまえばやりたいことがたくさん浮かんできて今とてもわくわくしています。
普通じゃない自分らしさの行く末はどんなものか、今から未来が楽しみです。
また、この機会に自分のトリセツを作っておこうと思います。
①コンプレックスにぶつかったときは一人で戦わない。助けを求めて2対1で向き合う
②実績と戦うために知識を増やし、思考と実践を重ねる
③バカでかい苦しみこそ大きな成長へのきっかけが眠っている。苦しみは決して悪ではない
④普通の幻想と決別する。君には「普通」の人とは違う使命があるはず
以上!長文にお付き合いいただき心から感謝です!
2025年の新たな私をどうぞよろしくお願いします!