ルソー思想の問題意識


『人間不平等起源論』への導入

ヒュームを挟みましたが、ホッブス、ロックと続いたら次に来るのはルソーでしょう。

ルソーも社会契約を唱えた人なので(むしろ最初に社会契約という言葉を使ったのはルソーです)、ホッブスやロックと似たような課題意識(理想の社会秩序の論理的必然性の証明)を持っています。

ただし、ルソー独自の課題意識としてこれまでの社会秩序論者は人間本性を正確に捉えられておらず、当時の論者が身を置いた社会情勢(ホッブスだったらイングランド内戦、ロックだったら新大陸のコミュニティ)の反映に過ぎないとしています。

そこで、ルソーは文明批判を展開し、文明が人間を堕落させたと考えます。文明という人間が後から作り上げたもの以前の時代に、人間本性が現れると考えたのです。このような論を展開したのがルソーの著書の1つである「人間不平等起源論」です。

まず、ルソーは人間本性は自己愛と憐憫だと主張します。

自己愛は一見するとホッブスの自己保存と似ているように見えますが、他人を殺してでも自己防衛するというよりは、自然の脅威から自分を守るというニュアンスです。これに対して、憐憫は他人の苦しみを自分の苦しみと捉え、その苦しみを軽減してやりたいと思う心を指しています。

ルソーは本性に従っている自然状態の人間は、調和を取って穏やかに暮らしてたとみなします。この人類の「最も幸福な時代」が「鉄と小麦」によって終焉するとしました。

つまり、農業が始まり(小麦)、そこから税を取り立てる国家(徴税の背景に武力があるので鉄)の誕生を指しています。農業には定住と莫大な土地が必要です。これによって、大地主による土地の囲い込みが可能になります。その結果として私有財産が誕生します。

最終的に私有財産を保護する組織として国家が発達します。

とはいえ、原始的な国家のレベルでは国家は「法の支配」に基づき、地主だけではなく人民全体の保護を行うという”契約”に基づいているとされています。(武力を背景にした契約なので、合意ではなく強制的な同意ではあります。)

経済が発展するにつれて、格差が広まります。一応は契約関係だった人民と君主が、奴隷の主の関係に転化してしまったとルソーは考えました。ルソーは18世紀の大陸ヨーロッパ人間(正確にはジュネーブ出身でフランスなどのサロンを出入りした)なので、フランスの絶対王政が念頭にあるのかなと思います。

『社会契約論』

『人間不平等起源論』で明らかになった主-奴隷状態を何とかしよう、という動機で書かれたのが「社会契約論」です。

ルソーの社会契約の特徴としては、

・人々の自由な合意の結果として政府を導出する(ロックとの共通点)
・主権=人々の意志なので、個人が主権に反した政治的意志決定を行えない(ホッブスとの共通点)

特にホッブスとの共通点を担保する概念として「一般意志」があります。

一般意志の最初の特徴は肉体が魂に従うように国家は意志に従うということです。国家は権力を持っているけれども、その裏には一般意志があるという関係が述べられています。さらに、一般意志を表現した国家内のルールとして法があり、それを定める場として立法があります。

次の特徴は、全体意志は特殊意志の集合で、全体意志は少数意見を切り捨ててしまうので良くないものだ、というものです。

恐らく、一般意志の説明をややこしくしているのは全体意志の存在だと思います。ポイントは全体意志はそれぞれ個人が自分の利益を表明して、多数決をした結果で、一般意志は個別の利益は置いておいて共同体としての利益だ、ということです。ただし、一般意志も多数決によって決まると述べられているのがややこしいところです。

最後の特徴としては、一般意志においては決議を行う前に情報は行き渡っていないとおらず、市民間でやり取りを行ってはいけない、ということです。これも共同体としての利益に繋がっています。政党による多数派工作を防ぐためです。政党は政党で個別の利益を持っています。政党個別の利益が多数派工作によって推し進められたとしても、それは一般意志とは言えません。

多数派工作がなぜダメで、その一方で一般意志はなぜ多数決で決まるのか、ということを考える必要があります。

これはコンドルセの法則によって説明できます。コンドルセの法則とは参加者が多いほど、問題への正答率が高くなるという法則です。正確には以下の条件が付随します。

・正解が明確に存在している
・正答率が平均して50%を上回ると期待される

これに当てはまる問題は例えば「15×15」です。これには225という明確な正解が存在し、恐らく50%以上の正答率が期待できます。

実際には間違える人もいると思います。例えば、10人に聞いて6人が間違えることは有り得ます。しかし、この人数を多くすると、正答率は先ず間違えなく50%を超えるはずです(サイコロを数回振っただけでは6が連続して出る可能性はありますが、1万回振ればその割合は1/6に近づいていく、というような感じに近いと思います)。

これを一般意志に適用すると、恐らく個々の利益を無視した共同体の利益という”正解”があり、それは50%以上の正答率で分かる、という前提がルソーにある、と考えることができます。

共同体の利益を半分以上か分かる、という前提はルソーのコミュニケーション論に支えられています。ルソーは社交を嘘偽りだとみなし、自分の気持ちを全て出すコミュニケーションを肯定しました。言い換えれば、自分と他人が分け隔てなく結びついているという感覚がルソーにはあり、それが一般意志を保証している、ということです。

ただし、この説明は未来が完全に見通せない中で共同体の利益が本当に分かるものなのかな、という疑問は残ります。

とはいえ、ルソーの時代は科学技術の発展のスピードが今ほど凄まじいわけではなかったですし、あまり大きな共同体を想定しているようではないので、その想定に従えばコンドルセの定理は効いてくるかもしれません。

参考文献
Bertrand Russell 2004 History of Western Philosophy Routledge
坂本達哉 社会思想の歴史 2014 名古屋大学出版会
大澤真幸 社会学史 2019 講談社

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