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東海道五十三次旅、2日目


朝5時、ネカフェチェックアウト。
まだ真っ暗な戸塚駅を横切り、スタート。

駅に浮世絵

昨晩、太もも辺りに違和感があったけど、寝たら完治してた。「ネカフェでも回復するじゃん!」。意外と余裕だと思い込む。夕方地獄を見ることを、この時はまだ知らない。

なぜか藤沢を飛ばして、大磯の看板


国道1号をひたすら歩く。
まだ朝6時台だというのに、とんでもなく渋滞してた。徒歩の自分のが早いくらい。


藤沢宿

2時間ほどで到着。
通勤の時間で、小中学生たちは歩き、高校生は自転車を漕ぎ、道は車が渋滞していた。
髪を染めてる子供を何人か見た。サーフィンのボードがある家もチラホラ。
湘南ぽい風景。

遊行寺の門前町として栄えた、藤沢
踊り念仏で知られる時宗の寺
豪族藤沢氏の保護により、1325年創立
青看板が心を折ってくる
まだまだ序盤だね

東海道には目印として、江戸時代から杉が植えられている。確か最初の杉並木ゾーン。


左富士の名所
もちろん見えない
馬入川と湘南新宿ライン


平塚宿

江戸時代から変わらない山
感慨深い
高麗山
滅亡した高句麗の人々が住んでたらしい
東海道平塚宿

明治時代、海軍火薬工事で発展した。また、海軍高等官がたくさん住んでたことから、街全体で教育熱心になり、平塚小学校は生徒数&教員数日本一だったらしい。
 戦時中、海軍工場があったことから大空襲を受け、焼け野原に。そのため、面影はない。
あるのは、高麗山のみ。


大磯宿

徳川御三家、伊藤博文、大隈重信、
岩崎弥太郎等の別荘が150以上集まる

ずっと天気微妙で、写真映えしなくて残念。歩くのには曇りが最適なんだけどね。


名物を発見。

ぷりぷりで美味しい

せっかくなので、少し海際を歩く。

江戸時代の人も波の音を聞きながら
歩いたのかな
この辺でよく見たポスター
イノシシから宇宙までとは…?
ここからが地獄

足が動かなくなってきた。小田原までほんとに着けるか?と不安になってくる。

体感はこんな感じ

ふらふらするし、何度も立ち止まった。椅子はないし、東海道を感じさせる看板等もない。ひたすら車ギリギリの狭い歩道を歩く辛さ。
辛い辛い、と思いつつ、不思議と辞めたいとは思わなかった。

景色がちょっとずつ慰めてくれる


この辺りでは両足を引き摺ってた
スピードは時速2キロ

辛い辛いと、念仏のように唱えながら歩く。やっと浮世絵のロケ地に着いた頃には、もう日没。

小田原宿

やっと!!!!

長かった。いま振り返っても、2日目が1番辛かった。特に大磯〜小田原宿。

よく頑張りました、自分。


距離:38.6km
歩数:65933歩

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