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東海道五十三次旅、13日目(完)


おはよう。滋賀県栗東市にて。
今日が最終日。宿場はあと2つ。

いい朝日
昨日の女人堤防と続き
洪水は今でも課題
巨大すぎて1枚パシャリ

都会になってきたなーって思ってると、すぐに草津駅。



草津宿

東京〜京都には、主に東海道と中山道の2つのルートがある。
スタートの日本橋を南に行けば東海道、北に行けば中山道。
ここ草津宿は、その2つの道の合流地点。

右 東海道伊勢道
左 中山道美濃道
脇本陣で朝食を

通学、通勤で自転車の波をすり抜けながら歩く。彼らは、草津宿に関してどれだけ意識しているんだろ。
この道真っ直ぐいけば、日本橋にいけるの、知ってる?とっても重要な道なんだよ。

最後のお言葉


石碑にされてないけど
発展に寄与した人は数多くいるんだろう
怖すぎ

この石碑通り、右折すると

東海道三大橋
制覇!

立派な橋が。
京都防衛のために、壬申の乱、恵美押勝の乱、承久の乱の舞台になる程、超重要な橋。
この橋は人間をどんな気持ちで見守ってきたんだろうか。

また、「急がば回れ」の諺の由来としても知られる。琵琶湖を突っ切るより、遠回りしてでも橋を渡った方が早いって意味。

東海道は琵琶湖通らないんだけど、ちょっと寄り道。

東京から歩いて琵琶湖来るなんて。
疲れたのと、余韻に浸るのにベンチで横になると、20分ほど寝てた。


すぐに、最後の宿場に到着。


大津宿

何回か登場した、芭蕉先輩の墓
残念ながら閉館日
大津事件の場所
こういう街並みも最後
札の辻
京都の玄関だから
東京の高輪ゲートウェイに当たる

ってことは、あと少しで終わっちゃうんだなー。東京を回想しながら歩く。


逢坂の関に差し掛かる。

“夜をこめて鳥の空音は謀るとも
よに逢坂の関は許さじ”
清少納言

(逢坂の関は開かない=
あなたには会いませんよ、の意)
なんだこれ

徒歩7時間なら行けるな

そして、東海道ウォーカー界隈ではめちゃくちゃ有名な石碑へ。

右 京都方面
左 大阪方面
昔はこう

左に行くと、東海道五十七次と言って、伏見→淀→枚方→守口宿に至る。

ここの分岐まで来たら、ゴールは目と鼻の先。

京都府へイン!
三条通り
琵琶湖疏水

少し寄り道。
京都を出発する人々が、東海道旅の安全祈願として立ち寄られてたという、南禅寺へ。

南禅寺に来るのは何回目かだけど、歩いて来れるんだなぁ。大量の外国人の中を掻き分けながら、京都まで来たことを実感する。

さて、そろそろ終わらせよう。

ついに。

最終、三条大橋に到着。


橋から鴨川をしみじみと眺める。
日本橋を旅立って12日と9時間。
途方もないと思っていた500km先の場所に、到達した。



・・・





窓を見ると、琵琶湖が後方に飛んでいくのが見えた。半日かけて歩いた距離を、5分で追い越していくスピードに、帰りの新幹線の中で、呆然とした。
 これは、魔法の乗り物じゃないか。だが、周りの乗客たちは、外で起きている凄まじい状況には目もくれず、駅弁を食べたり、寝たり、スマホを触っている。

 徒歩の時代は終わった。しかしそれは、別に大昔の話ではなく、鉄道や車の存在が歴史上に名を挙げた、ここ150年のことなのだ。
 今は恵まれた時代になった。峠も川も、天気や治安も心配しなくていいし、100倍以上の速さで移動できるようになったのだ。
(*正確には、新幹線の2時間半に対し、12日と9時間の比で算出すると118倍)

文明が、どれだけすごいことか。今回の旅で骨の髄まで分かった。

最後に、鉄道唱歌の歌詞を紹介したい。

思えば夢か時のまに
五十三次走りきて
神戸のやどに身をおくも
人に翼の汽車の恩

鉄道唱歌 東海道 65番



距離:35.1km
歩数:57578

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