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適応障害になるまで②/社長夫人と社長の息子


母に少し話を聞いてもらったんですが、そうしたら少し気持ちが整理できました。

・強引な社長夫人
退職のやりとりなどをしているのは、事務の社長夫人なんですが、人柄は良い方ではありますが、休職十一週目のnoteで前述した通り、強引な所があります。
職人(先輩)もそれに従っているのを何度も目撃した事がありました。
在職時に先輩から話を聞く機会がありましたが、残業が多いのは「今だけだから、」と言われながら、事務が注文をたくさん取ってしまう状況が続いていたそうです。
私の会社は中堅層がごっそりおらず、会社は評価制度を取り入れようとしていますが、中堅層がいない原因はそれだけではないと思います。
多分それに、社長夫人も気づいていないんだと思います。

・辞めていく中堅層
一昨年、中堅層の職人が2人辞めました。
一人は十年以上勤めた先輩でした。
辞める本当の理由は言わずにきれいに辞めていきました。
もう一人はメンタルの関係で片目が見えなくなっている先輩でした。
十年以上勤めた先輩が退職願を出したとき、メンタルの先輩は「あともう少しで改善されたのに…」と呟いていたのを今でも覚えています。
メンタルの先輩は鬱で3ヶ月休職になりました。もともと就業規則で会社を休職できる期間は3ヶ月でしたが、休職期間満了する前に退職されました。

・社長の息子が入社してきた
私は在職時は気にしていなかったことが1つあって、母に話すとそれは大きいことだよ、と驚かれたことがあります。
私の後輩に社長の息子さんが入社してしまったんです。その事は今思えば不運でした。
入社時、職人は実技のテストがあるのですが、主任が息子さんを見ました。
社長から、なにか実技面で言うことがあったら言ってほしいという言葉に、主任は、僕に言う権利ないですよ、もう決まっていることですから、と言いました。
実際の作業でも、社長の息子さんの言葉は社長の言葉になるため、とても気を遣っているようでした。
工場長も、社長との付き合いで息子さんが赤ちゃんだった頃から知っているんだと言っていました。

社長夫人も時折、息子として接している場面がみうけられました。
休みの連絡はチャットに送ることになっているんですが、社長夫人は息子の連絡にだけ返信を返していました。
私も軽作業や下準備だけでなく、メインの作業に入りたいと主任に交渉したとき、たくさん言い訳されました。
その後、社長夫人との面談がありましたが、軽作業ばかり任せる話では「〇〇(息子の名前)はアウトレットのものしかできないから…」「〇〇(息子の名前)はまだ1日に100本とかできないから…」と言いました。
良いお母さんだとは思いましたが、息子さんのことを私が悪く言っているような気分になりました。
息子の擁護をするばかりで、変わってくれる気配を感じませんでした。

そんな状況と前にも書いたマネジメントできない主任と、自信をなくし身動きを取れなくなってしまった私が掛け合わさって適応障害になってしまいました。

・磨くのがほんとうに好きでした
社長は私の磨きを評価してくださっていて、社長だけは私にやりたい作業はないか聞いてくださいました。
いずれは会社の磨きの半分を任せたいと話してくださっていました。
1年目の時に好きな材料で会社の製品を作っていいという機会があり、私は一番難しいと言われる材料を選びました。
磨くのはほんとうに好きでした。

・戻るイメージがわかなくなった

磨くのが好きでも頑張っていたことでもあの職場に戻れる自信がありません。
主任が楽しそうに他の部下を指導しているのに、私は軽作業しかやれる作業がないんです。
そんなの惨めで辛いです。
休職期間入ってからもそんな夢をよく見ていました。

不満が出るのはどこも一緒だと思って割り切って働いていましたが、
(他にも仕事上の合理的でない問題点などはたくさんありましたが、自分が適応障害になった原因に絞って書かせてもらってます)
心や体を壊したらその先はないです。
今の自分にできる限界までやりきったと思います。
これ以上進んだら、戻れなくなると思ったので、悔しい気持ちもありますが、
先のことはわからないけれど、これで良かったんだと思います。
未来の道を正解にできるように、後ろばかり向かず、軌道修正だと思って前を向いて進んでいきます。。。

自分が変わるべきところは、もう少し雑談できるようにして仲間を増やすことと、
反面教師として気前が良い人になって、後輩に慕われる先輩になることかなと思います。

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