
適応障害になるまで①/主任に相談しても解決しなかった問題たち
思い返せば⋯
振り返ると直属の上司(主任)に、会社での問題を相談しても解決しないことが多かったです。
①1年目に怪我をしたとき
怪我した後、すぐに業務内容の置換などがされなかった。
自分なりにできることをやったが、余裕のなさが出てしまい、逆に指摘を受けたため、
製造部のミーティング(唯一の私の発言できる場面)で怪我の悪化を伝え、やっと解決した。
頑張っていた作業だったが、その作業は担当から外れました。
②2年目にメンタル面で壊れ業務の改善を求めたとき(軽作業/誰もやりたがらない雑用/体の負担が重い作業が私に集中してしまっていた)、怪我をしたとき、
2年目の10月頃からでメンタル面の関係(1年目の頃から感じていた不満が溜まっていってしまった)で、抑うつの症状が出るようになった。遅刻や欠勤が出始めた。
主任に私の方から頼み時間を作ってもらい、業務の改善(軽作業等だけでなくメインの作業を入りたい事)を求めました。
・軽作業等だけ私に頼む理由
業務の改善を求めたとき、いろいろ言い訳されました。
「私の1つ上の上司が、作業(分業制なので私とは別の作業)がはやくならないと仕事を与えられない」
→会社の利益を考えたら、できる作業があるのに頼まないのはおかしいと思いました。
1つ上の上司の作業を手伝うか聞くと、機械が足りないから厳しいと言われました。
「軽作業を頼むのは、後輩よりも飲み込みが早く、確認をしっかりしてくれるから。軽作業を教えるのに時間をかけたくない」
→人手が足りておらず、例年は多くても2人しか新人を取らないのに四人も採用してしまったため、新人育成の環境があまり良くありませんでした。
後で書きますが、そのうちの1人が社長の息子さんだったため、主任も気を遣っている状態でした。
「みんなが苦手なこと(誰もやりたがらない雑用/体の負担が重い作業)が得意だから、助かっている」
→結果、私にこれらの作業が集中してしまいました。得意というより、どの作業も一生懸命やるようにしていました。
・軽作業等だけ頼まれた無価値感
主任にメインの作業をしたい話をしたとき、先輩から仕事をもらえるのは嬉しいことだと言っていました。
「僕も工場長から、〇〇(具体的な作業)をもらえたら嬉しい」と言っていました。
でもその〇〇の作業は軽作業などではありませんでした。
今の後輩の軽作業よりも、私の上の先輩が同じ時期にやっていた軽作業より、ずっと多くの軽作業や雑用だけやらされて感じたことは、貢献できている喜びではなく、無価値感だけでした。
私は「1年前は手伝えてうれしかったけど、今は喜べません」と返しました。
いつの間にか私の尊敬できる人ではなくなっていたんですね。
少なくとも私は自分が作業に入るために雑務だけ押し付ける先輩にはなりたくないと思いました。
軽作業だけ任されるようになった時は私だけメンバーから外れ、浮いているように感じていました。
・ケガの要因も、精神的なもののせいにされそうになった。
もともと2年目に怪我をした作業は、後輩が手伝うことになっていた体に負担がかかる作業で
後輩の面倒を見たりしたかったですが、後輩が他の先輩に別の作業を頼まれ、私が担当するその作業に入れませんでした。
(このとき主任は、私の負担を考えて優先的に作業に入るように指示をだしませんでした)
かといって、はじめの工程にある作業なので残しておくわけにいかず、私以外できる人がいなくなってしまいました。
その結果、怪我をした際、自分(主任)ができている量より少ないからと、労災を通すのを拒もうとしました。
(この時も主任は、社長夫人の言葉から私を守ってくれはしませんでした)
・マイクロマネジメントで「やりたい」が言えなくなってしまった
1つ上の先輩の評価は、私よりできていなくてもおおらかなのに、私には粗探しをするように厳しかった。
口癖は期待をしているから、でした。
新しい作業を覚えたくても、自分から仕事をもらいにいけなくなってしまった。
(他部署が困っている時は手伝いに自分から入っていたので、仕事をもらえないのは私の主体性の問題ではないと思います)
どんどんやれることがちっちゃくなってくような窮屈さを感じていました。
このことから…
相談する人は、話しやすい人じゃなく、頼りになる人、複数人に相談したほうがよい事を学びました。
疑問を感じた時は、自分でできることを取り組む前に、交渉したほうが良いのだなと感じました。