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日記 地下鉄サリン事件及びオウム真理教におけるテロの犠牲者を偲んで


あの日、地下鉄サリン事件が起きた日、私は外出していまして、知り合いのおばさんと偶然会って、今、東京の地下鉄で大変なことが起きていると聞かされ、気になってすぐ帰宅した思い出があります。


あれほどまでに凶悪事件の数々を起こした意味不明なほどに気持ち悪い集団なのにも関わらず現在は見事なまでに風化してしまっているのが信じられません。

以前地下鉄サリン事件のYouTube動画見ていたら、

コメントに、

「オウム真理教なんてたかだか数人、サリン事件で殺しただけじゃないですか、たいしたことない」

みたいなコメントがあったのです。

で、えー!!!!そんなわけあるかい!今の子って知らないんだな、それは違うぞ、と思い、凄く焦りました。

あの意味不明な規模の狂乱を知らず、軽い事件として捉えてしまっているんだな、と痛烈に残念に悔しく思い、

で、掘り下げてみました。

当時は至る所に信者がいて、下手なこと言うと消されてしまう可能性もあるくらい戦々恐々としたムード、至る所に信者が潜んでいました。

私が記憶する限りでは、当時は国松長官射殺未遂事件などもあり、

こちらもオウム真理教信者が疑われました。
元信者の現職警官か元警官かわかりませんが、関与したと言われています。

現職自衛官も信者にいたり、当時の感覚としては、信者がどこまでも潜伏してるイメージでした。

また松本サリン事件では、マスコミによって被害者の方が犯人としてまつりあげられてしまい、酷い冤罪被害に遭われたことなどもありました。

地下鉄サリン事件では、聖路加国際病院の医師たちの英断により、サリンと判断されたことで多くの命が救われました。また確か院長の日野原先生が野戦病院を想定し、チャペルなどにもいざという時、患者を収容できるように配備していたことが功を奏したことなども記憶しています。

そして地下鉄サリン事件により、日本中からゴミ箱が撤去されました。皮肉にも、今日では外国人が、日本はゴミ箱がなくて街がとても綺麗だと言われますが、私はこうした現在の状況はこのテロに端を発していて、今日に至ります。

また当時の世界の風潮としては、

こんなに世界的に見ても平和な国で、まさかカルト宗教が、こんな重大なテロ事件を起こすなんて、にわかには信じられない!という反応でした。

また当時の風潮として、こんな変なカルト宗教なのに、意外に信者に美人が多かったことや、頭が良いノーベル賞を目指すような化学者などが多かったことなどが、世間の注目を集めていました。


以下、オウム真理教が起こした事件の数々

あまりにもテロが多過ぎて、過ぎて空いた口が塞がらないほど酷ことがわかるでしょう。

オウム真理教事件
発生年月日
事件名
死者(人) 負傷者(人)動機

1988年9月22日
在家信者死亡事件(立件なし)
1名死亡 0.   信者の事故死とその隠蔽

1989年2月10日
男性信者殺害事件
1名死亡 0 教団から脱退しようとした人物の殺害

1989年11月4日
坂本堤弁護士一家殺害事
3名死亡 0 教団と敵対する人物の殺害

1990年 国土法違反事件
土地売買の隠蔽

1991年 女性信者殺害事件(立件なし)
1名死亡 0 スパイと疑った信者の殺害

1992年9月14日
オカムラ鉄工乗っ取り事件(立件なし)
資産の強奪と教団の武装化

1993年6月6日
逆さ吊り死亡事件
1名死亡 0 信者の事故死とその隠蔽

1993年6月28日
第一次亀戸異臭事件(立件なし)
0 0 細菌兵器培養と無差別テロ

1993年7月2日
第二次亀戸異臭事件(立件なし)
0 0 細菌兵器培養と無差別テロ

1993年11月
第一次池田大作サリン襲撃未遂事件(立件なし)0 0 教団と敵対する創価学会指導者の暗殺

1993年11月~
サリンプラント建設事件
教団の武装化

1993年12月18日
第二次池田大作サリン襲撃未遂事件(立件なし)0 数名
教団と敵対する創価学会指導者の暗殺


1994年1月30日
薬剤師リンチ殺人事件
1名死亡 0 教団から脱退させようとした人物の殺害

1994年2月~
自動小銃密造事件
教団の武装化

1994年3月27日
宮崎県資産家拉致事件
0 1名負傷 資産の強奪

1994年5月9日
滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
0 1名負傷 教団と敵対する人物の殺害

1994年5月~
LSD密造事件
イニシエーション用の違法薬物製造

1994年6月27日
松本サリン事件
7 名死亡 600名負傷
教団支部立ち退き裁判を担当する判事の殺害とサリンの実験

1994年7月~
覚醒剤密造事件
イニシエーション用の違法薬物製造

1994年7月10日
男性現役信者リンチ殺人事件
1名死亡 0 スパイと疑った信者の殺害

1994年7月15日
元仙台支部長死亡事件(立件なし)
1名死亡 0 信者の事故死とその隠蔽

1994年7月28日
元女性看護師拉致監禁事件
0 1名負傷 教団から脱退しようとした人物の監禁

1994年9月20日
江川紹子ホスゲン襲撃事件(立件なし)
0 1名負傷 教団と敵対する人物の殺害

1994年9月~
チオペンタールナトリウム密造事件
イニシエーション用の違法薬物製造

1994年11月20日
鹿島とも子長女拉致監禁事件
0 1名負傷 出家を拒否した人物の監禁

1994年12月2日
駐車場経営者VX襲撃事件
0 1名負傷 教団を脱走した信者を匿った人物の殺害

1994年12月9日
大阪における拉致監禁事件(元自衛官)
0 1名負傷 教団から脱退しようとした人物の監禁

1994年12月10日
ピアニスト監禁事件
0 1名負傷 出家を拒否した人物の監禁

1994年12月12日
会社員VX殺害事件
1名死亡 0 スパイと疑った人物の殺害

1994年12月28日
三菱重工広島研究所侵入事件
データ収集

1994年12月?日
府中運転免許試験場侵入事件
データ収集

1994年12月~1995年3月
メスカリン密造事件
イニシエーション用の違法薬物製造

1995年1月4日 被害者の会会長VX襲撃事件
0 1名負傷 教団と敵対する人物の殺害

1995年1月 自動車免許証偽造事件[10]
犯罪目的で偽造免許証を製作

1995年2月28日
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
1名死亡 0 教団を脱走した信者を匿った人物の拉致と多額の布施を見込める信者の奪還

1995年3月15日
霞ケ関駅アタッシュケース事件(立件なし)
0 0 教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱

1995年3月19日
大阪における拉致監禁事件(大学生)
0 1名負傷 教団から脱退しようとした人物の監禁

1995年3月19日
島田裕巳宅爆弾事件
0 0 偽旗作戦

1995年3月19日
東京総本部火炎瓶投擲事件
0 0 偽旗作戦

1995年3月20日
地下鉄サリン事件
12名死亡 6,300名負傷 
教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱

1995年3月20日
名古屋における老女拉致事件
0 1名負傷 資産の強奪

1995年3月22日
第6サティアン礼拝堂信者監禁事件
0 6名負傷 教団からの脱会阻止

1995年3月22日
第10サティアン信者監禁事件
0 教団からの脱会阻止

1995年4月~5月
新宿駅青酸ガス事件
0 0 教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱

1995年5月16日
東京都庁小包爆弾事件
0 1名負傷 教団への捜査の攪乱と教団の解散権を持つ都知事への妨害        

NHKによれば2004年時点で行方不明者リストには50人以上の名前がある                         
                  wikiより



炭疽菌を散布する実験までして、皇太子御成婚で散布する計画まで立てていたとか、


他にもここでは話してないけど、調べたところボツリヌス菌、エボラウイルス、赤痢菌、などを準備及び使う計画があったらしい。

神宮球場サリン散布計画

1993年、当時の天皇(令和における上皇)が神宮球場を訪れるという情報を入手。サリンを散布する計画があり、早川紀代秀が神宮球場の構造を調べるところまで進んでいた[28]。
                  wikiより

首都圏ボツリヌス菌散布計画

1990年4月~5月、皇居、霞が関、米軍横須賀基地、浄水場のある川などにボツリヌス菌・ボツリヌストキシンを散布したが、効果は無かった[23]。               wikiより

ホスゲン爆弾計画

1990年、化学兵器のホスゲンを入れた鞄型散布装置「ホスゲン爆弾」を使って、マスコミ、警察、大阪府などを標的とした無差別テロを行う計画があった。
                  wikiより

米国サリン散布計画

1994年、アメリカにサリンを輸送しテロを行う計画があり、井上嘉浩らが携わった。サリンは仏像に隠して送る予定だったが、サリンプラント計画がうまくいかず中止された[29]。
                  wikiより

首都圏爆破テロ計画

1995年3月20日の地下鉄サリン事件後、「社会の対立し合う勢力をぶつけて混乱を引き起こし、捜査撹乱を行え」「30日ごとにテロをやりつづけろ」として[34]、目白通りの石油コンビナート、東京タワー、東京都知事候補者の自宅を爆破したり、東京都庁にプロパンガス20本を積載したトラックで攻撃する計画があり、麻原の指示で井上嘉浩や富永昌宏が調査したが到底無理であるため中止された。代わりに新宿駅青酸ガス事件、東京都庁小包爆弾事件が実行された[35]。ダイオキシンを散布するというプランもあった[34][36]。               
                  wikiより

また化学兵器は、サリンはもちろん、VXガス、青酸ガス、ホスゲン、イペリットガス、ソマンなども、準備、生成、使用されていたらしい。

ホスゲンでは江川紹子さんが襲撃されて全治二週間のゲガを追ったことがあったらしい。
また、坂本弁護士一家にも使用されたらしい。

イペリットガスは、信者が殺害されたとか。

青酸ガスは、石油コンビナートを爆破する計画もあったが、その代わりに、この二つの青酸ガステロと小包爆破テロになったらしい。

新宿駅青酸ガス事件(しんじゅくえきせいさんガスじけん)は、1995年4月30日、5月3日、5月5日の三回にわたって、オウム真理教が東京都の新宿駅地下トイレに毒ガスである青酸ガスの発生装置を仕掛けたテロ未遂事件、特に5月5日の事件をいう。別名として新宿駅地下トイレ青酸ガス事件、新宿青酸ナトリウム装置事件などとも呼ばれる。
                  wikiより

東京都庁小包爆弾事件(とうきょうとちょうこづつみばくだんじけん)とは、1995年5月16日に発生したテロ事件。オウム真理教が東京都知事青島幸男宛に小包爆弾を送り、東京都新宿区の東京都庁舎内で爆発させ都職員に重傷を負わせた殺人未遂事件[1]である。

一般兵器は、自動小銃、目潰し用レーザー兵器、改造拳銃、爆薬、火炎瓶、プラズマ兵器、
バズーカ砲、ミサイル、ロケット弾、そして、魚雷艇、潜水艦などの購入計画もあったと。

核兵器を作るためにオーストラリアでウラン採掘したり、

海外の支部には、ロシア、ドイツ、アメリカ、スリランカ、オーストラリアなどがあったとか。

自動小銃密造や銃製造工場を作り試作品を製造。

最終的には1,000丁の自動小銃と100万発の銃弾を製造し、日本の主要都市で同時多発的にサリンを散布し、ハルマゲドンを惹起。その混乱に乗じて首都圏中枢部で二・二六事件のようなクーデターを起こし、オウム国家を建国する企てであった(オウム真理教の国家転覆計画)。
                 wikiより





初めにも書きましたが、今の子達はサリン事件の死亡者数だけを見て、大したことないじゃないと、思ってるんだなと知って、ちょっとむかついたので。

この教団はここまで、世界征服や国家転覆を本気で目論み、テロを何度も計画、実行し、これほど沢山の人を不幸にした正気の沙汰ではないテロ集団なんだと、

今はもう風化してしまっているけれども、あの頃確かにこんなテロの数々があったことを知ってほしいと思いました。

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