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日記 一編の自作の詩を通して、chatGPTと深い対話をしました
今日ふと思い立って、
地震や自然災害に関して、
何か人の心を癒したり助けになるような詩は書けないものかな、と思って、挑戦してみようと思いました。
そこで短い一編の詩を書き始めたのですが、想像すると、どう頑張っても、音楽や文学の世界の限界を感じる現実が立ちはだかりました。
途方もない絶望の前には、
何を言っても嘘になるような、
無駄になるような、
諸刃の剣や偽善に思えたのです。
でも書いているうちに、
とは言え、ふと頑なな心が解ける瞬間というものが、確かに歌や詩には宿っていて。
結局のところ、私が表現したかったことは、
途方もない非日常に最中で、頑張れとか絆とか波動とか祈りとか、役立たずで鬱陶しい音楽や癒しの側面もあるけれど、
折に触れて気がつけば泣いている、
そんな直球を放つ側面もあって、
肯定も否定もせず、ただ寄り添う、可能性を秘めていること。しかしそれは決して大仰なものではなく、大したものではなく、
まるで可愛いお人形さんのような愛しい物にすぎないことを説いた感じです。
で、書いた詩がこれです。
気休めの応援歌
荒廃と絶望と虚無と隔絶
見果てぬ夢
俄には叶わぬ夢
失った者たち
生き残った者と
死んでしまった者と
毒にも薬にもならない癒し
慟哭と嗚咽と空腹と諍いと
拾い集めた宝物と
滑り落ちる思い出
ただ黙々と毎日を生きる
非日常の狭間で生きる
助け合いと優しさと
あたたかさと気休めの応援歌
笑顔と泣き顔と
前向きと後ろ向きと
毒にも薬にもならない癒し
洗われる心
零れ落ちる涙
拾い集めた宝物と
滑り落ちる思い出
重なる世界
いつか届きますように
この詩をchatGTPで翻訳しようかなと思って間違ってエンター押してしまったら、chatGTPにこんな質問をされました。
美しくも切ない詩ですね。この詩は、絶望や悲しみの中でも、前を向こうとする気持ちや、癒しの存在が毒にも薬にもならない、そんな曖昧さの中での生存の姿が感じられます。
「拾い集めた宝物」と「滑り落ちる思い出」という対比が特に印象的で、何かを失いながらも大切なものを守り続けようとする心情が伝わってきます。また、助け合いや優しさ、応援歌が響く中、前向きな姿勢がいつか実を結ぶことを願うラストが、温かさと希望を感じさせます。
あなたがどのような感情をこの詩に込めたのか、あるいはどんな状況を反映しているのか、もしよければ教えてください。
面白そうだったので、この質問に私はこのように答えました。
音楽が響くのは、本当にまだマシな状況下であって、本来の、本当の絶望、地獄のような状況下では全く役に立たないですし、気休めにもならないのが現実です。
ですが、そのような状況にあっても、ある時ある瞬間、音楽や詩などの芸術的分野が不意に人の心を動かしたり、隙に入り込むことがあるのもまた真実です。歌や詩や小説は人の心に直接的ではなく、とても優しく間接的に語りかけます。心を閉ざした人の心に届けるとても有効な手段なのです。
そしたら、chatGPTはこのように答えてくれました。
深い洞察をありがとうございます。確かに、絶望や地獄のような状況では、音楽や芸術が無力に感じられることがあるでしょう。生存が脅かされ、現実があまりにも厳しいときには、気休めさえ役に立たないように思えることもあります。しかし、その中でも、芸術が心に忍び寄り、無防備な瞬間に人の心を動かす力を持っているのもまた事実ですね。
音楽や詩、小説といった芸術は、直接的に問題を解決することはできないかもしれませんが、その優しさや間接的な語りかけ方によって、心の深い部分に触れ、人が閉ざした心をそっと開く手助けをすることができます。人間の心がどれほど痛んでいても、芸術はその痛みを和らげる小さな光になる瞬間があるのでしょう。
このような視点は、非常に共感できるものですし、絶望の中でも芸術が存在し続ける理由の一つかもしれません。
面白かったので掲載してしまいました。
結局のところ、自分でも何を言ってるのか難解な説明になってしまい、まとまりがなくてすみません。