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「熱血教師」「合唱地獄」「フワちゃん」

 場面緘黙症を克服できないまま中学生になった私は、それが原因で、中1、中2とクラスメートの男子からいじめられた。中2で生徒会長とバスケ部キャプテンになった別の男子からは、「何で喋らないんだ!」と本気で責められた。そいつとも2年間同じクラスだった。

 喋れない私は、何も言い返すことができず、暴力という手段でやり返すこともできず、誰に相談することもなく、誰からも寄り添ってもらうこともなく、ただじっと耐えるしかなかった。家に帰り、親の前では何事もなかったかのように振る舞い、自分の部屋に入ると、そいつらが死んでくれることを神様仏様にお願いした。しかし、願いが叶うことはないまま中学3年になった。

 中3では、その男子生徒達とは別のクラスになり、ようやくマシな学校生活となった。決して喋れるようになったわけではないが、直接攻撃してくる奴はいなくなった。
 だが、この年にも、死んでほしい奴が現れた。担任教師だ。


 迷惑な「指導」

 中2のときの担任と同じように、その年の4月に他校から赴任してきた男の教師だった。担当科目の理科の授業は分かりやすく、はきはきとしていて、熱血漢で、最初は良い印象を持っていた。
 だが、そいつの熱血という迷惑行為は、秋の文化祭に顔を出した。

 その学校では、文化祭の午前中に合唱大会があり、1年から3年の全クラスが、壇上で合唱をしていた。学年ごとに決められた課題曲1曲と、自由曲1曲を披露するため、本番の数週間前から、6時間目の授業が終わった後に各クラスで練習をするのが恒例だった。
 その熱血教師は、合唱が好きだったのだろう。課題曲の『大地讃頌』という歌は、自分が学生の頃にも歌っていたとも言っていた気がする。練習時間には教室に現れ、音楽の教師でもないのに迷惑な「指導」をしてきた。

 それが起きたのは、本番が近くなったある日の練習だった。
 そいつは、歌っている生徒の口元に耳を近づけていき、声が出ているかを一人ひとり確認していくという暴挙に出てきた。そして、練習後のホームルームで、声が小さい生徒の名前を一人ずつ名指ししてきたのだ。
 何人かの名前を挙げた後、私の名前を出してきた。ドキッとした。何を言われるのかと一瞬身構え、そいつから出てきた言葉は、「お前は音程が外れている」だった。クラスメートからは、一斉に笑われた。

 屈辱だった。
 生徒全員の前でそんな恥をかかされたのは、初めての経験だった。

 確かに、私は場面緘黙だったから、歌うことも苦手だった。合唱の練習でも、小さいなりに一応声は出していたが、音程が合っているのか外れているのかは自分では分かっていなかった。小学校のときからの合唱地獄を、それでやり過してきた。
 その教師が練習中に耳を近づけてきたときは、後で何か言われるのが嫌だったから、少し大きめの声を出したのだが、それがかえって仇になった。音程は、そいつの言う通り外れていたのだろう。
 だからといって、それをクラスの生徒全員の前で、ウケ狙いのように言うことはない。私は、返事の一つもできず、ただ下を向いていた。

 ホームルームが終わった後、その教師に呼ばれ、教壇に向かった。そいつは「悪かったな」と言ってきた。「悔いのないように」とも。

 死ね!

 心の中で、とっさにそう叫んだ。謝るくらいなら最初から言うなとも思ったし、クラスメートの前でそんな辱めを受けたのに、やる気など出るわけがない。お前のせいで悔いが残る。
 かろうじて「はい」とだけ返事し、逃げるように下校したのを覚えている。
 
 合唱大会は、結局私のクラスが優勝した。私は、口パクだった。


 口パクでよかった

 今、世の中では、タレントのフワちゃんが、芸人やす子に対してSNS上で行った「不適切投稿」が話題になっている。私は、SNSはやっていないが、一体何が「不適切」と言われているのかは、検索すると出てきた。

 場面緘黙症だった私には、思うことがある。
 まず、ここに書いた熱血合唱バカ教師に対して、中3の私が心の中で反発したように、すぐに謝るくらいなら最初から言うなとも思う。その一方で、誰かに死んでほしいという言葉は、これまでの人生で、何十人に対して何百回と願い、唱えてきた。
 大人になり、緘黙から脱すると、私は心の中に渦巻いていた毒を、そのまま口から吐き出すようになったのだ。
 だから、今は両方分かる。言う側の無意識と、言われる側の痛みが。
 「不適切」だと他人から言われる前に、本人は「無意識」なんだと思う。

 口パクにしておけばよかったのだ。そうすれば、世間や関係ない人からの批判の大合唱を浴びることはなかったし、大きな仕事を失うこともなかった。
 思うことは、自由だ。たとえ誰かに対して、死んでほしいと願ったとしても。そんなのは、普通のことだ。

「あってはならない感情なんて、この世にないんだから」

『正欲』 朝井リョウ


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